"KENNY" Inherit the STAR OCEAN

『STAR OCEAN』発売25周年を記念して書いた短編。ロニキスとイリアがラティたちと出会う前のエピソードです。


 星の海スターオーシャン
 秩序の埒外らちがいで膨張を続ける、果てなき開拓地フロンティア

 大地を支配し大洋と空を制した人類が母星を離れ、この未踏の海原へ旅立ってから、三百有余年。きらめく星々をはらみし漆黒の宇宙そらは底知れず、未だ片鱗すらつかめてはいないものの、その間に獲得した知見は人類を飛躍的に進歩させた。ワープ航法、物質の瞬間転送、そして新たな敵――異星人に対抗するための、数々の兵器。
 ――だというのに。
「――以上が、前月におけるレゾニアの活動内容です」
 はす向かいの席の分析官が、手元の端末を見ながら敵対勢力の分析結果を報告している。同席している士官たちも、判で押したように各々おのおのの端末に目を落とし、眉間みけんしわを寄せている。
 イリアは誰にも気取けどられないように、そっと溜息ためいきをついた。
 会議。ミーティング。あるいはブリーフィング。呼称や規模に違いはあれど、関係者が一堂に会し対面で実施するこの形式は、有史以来ほとんど変わることなく連綿と続けられている。報告書はどうせ個人の端末に送られるのだから、それぞれが勝手に読んでおけば済むだろうに。どうしてわざわざ雁首がんくび並べて静聴しなければならないのか。
「全体として顕著けんちょな動きは見られませんが、交戦に向けた準備は着実に進めているようです。このままでは百日後には我が駐留軍を上回る規模に達する予測も出ていますが……」
 分析官は言葉を切り、上座の提督を仰いだ。それをけた提督がううむと唸る。
「あまり猶予を与えるのは得策ではないか……」
 白髪しらが混じりの顎髭あごひげを撫でながら思案し、それから一同を見渡した。
「皆の意見を聞こうか。交戦やむなしとは考えるが――」
「大義がありません」
 末席に座る少佐が発言した。
「大義なき交戦は侵略と見做みなされる恐れがあります。連邦協定にも抵触しますし、他勢力との同盟関係にも悪影響を及ぼす懸念が」
「だが、和平交渉が頓挫とんざした以上」
 いずれ交戦は避けられぬと、提督の傍らに立つ作戦参謀が口を挟んだ。
「敵の備えが固まる前に叩くが定法じょうほう。なに、大義などいくらでも取り繕うことができよう」
「聞き捨てならぬ言葉だな、オルセン」
 提督が語気ごき鋭くとがめた。
「小手先の料簡りょうけんでは戦に勝っても人心はまとまらぬぞ。貴方きほうの立案能力は高く買っているのだ。失望させるな」
「は。肝に銘じます――」
 苦虫を噛み潰しながら、参謀は一歩退く。
 他に意見は、と提督が催促したが、誰もかもが端末の画面に釘付けになったまま、固まっている。
 居心地の悪い沈黙。これもまた――無意味な時間だ。
 そもそもこんな堅苦しい場で、自由闊達かったつな議論や着想など得られるはずがないのだ。形式に縛られ、組織に雁字搦がんじがらめになったここの連中に、膠着こうちゃくした状況を打開する意見など望める訳が――。
 ――いや。
 一応、この場に一人だけいる。形式にも組織にも縛られていない者が。ただ――。
 イリアは隣席を盗み見る。
 腕を組み、るようにして背凭せもたれに寄りかかっている。顔は天井を向いているが、見慣れない制帽を鼻先まで被っているため表情は判らない。そもそもちゃんと起きているのかも疑わしかった。
 会議の冒頭からずっと、この体勢である。周囲の冷ややかな視線など気にも留めない。端末の電源は点けているため、辛うじて参加している体裁だけは保っているのだが。
「ケニー大佐、意見はあるか」
 さすがに目に余ったか、提督が直々じきじきに彼を指名した。
「大佐」
「ん? ああ、はい」
 制帽を取って、ようやく姿勢を正した。起きてはいたらしい。
「聞いていたのだろう。何か意見はないか」
「はあ。意見というほどのものではないですが――」
 言いながら、端末の操作を始める。画面は共有されているため全員の端末の画面も遷移せんいする。
 表示されたのは、惑星イセの破壊事件を記したページ。事件の詳細が写真つきで報告されている。レゾニアが関与した疑いがあるというが。
「これが?」
「変じゃないですか、これ」
 変だよなあと、上官に対しているとは思えない軽い口調で言葉を継ぐ。
「何が変なのかね」
 苛立いらだった参謀に催促されたが、彼は特段急ぐ素振そぶりもなく、自分のペースで説明を始める。
「いや、だって、この報告レポートにあるあちらさんの行動は、ほぼ全部戦争準備じゃないですか。艦隊の派遣だの、兵站へいたん線の確保だの――」
「当然だろう。奴らは交戦準備を」
「でも、これは」
 違いますよねと、端末の画面を示した。
「惑星ひとつ消し飛ばすことが戦争の支度だとは、どうしても考えられない。そもそもここ、レゾニアの支配宙域ですよ。イセも管理下に収めていたはずなのに、それを破壊するって一体何なんですかね」
 ――ああ。
 イリアも確かに違和感を抱いていた。支配下にあった星の破壊。この報告書の中で明らかに異質な事項だ。他にも気がついていた者はいただろう。だが、それを指摘しなかったのは。
 ――関係ないから。
 いずれにせよ、これはあくまでレゾニア側の事情で行われたことであり、彼らの内政の問題だ。こちらに影響が及ぶような話ではない。指摘したところで――意味がないのだ。
「それがどうしたというのだ」
 案の定、参謀はそのことを突いてきた。
「連中の事情など我が方には関係ない。もう少し実のある意見を言いたまえ」
「でも、気になりませんか? 気になるよなあ」
 ぶつぶつ呟きながら首を捻ったかと思えば、どう思うと突然分析官に話を向けた。もはや参謀は眼中にない。
「この件については、その、まだ関与の疑いがあるという段階ですので」
 冷や汗を拭いながら、分析官が答える。
「じゃあ、別の誰かの仕業かもしれないと。それをこの報告レポートに載せたのはどうして?」
「そ、それは、自分では判断がつきませんでしたので……」
 とりあえず入れておいた――という程度のものなのだろう。それがこんな形で俎上そじょうに載せられるとは思ってもみなかったに違いない。
「ああ、それは正しい判断だね。おかげでこうして新たな視点を持つことができた。お手柄だ」
 責められると思いきや逆にめられてしまい、分析官は珍妙な顔をした。
「いい加減にしろ。最前より取るに足らぬ放言ばかり。少しは場をわきまえたまえ。これ以上軍議を乱すならば」
「大佐」
 噴火寸前の参謀を制して、提督が問うた。
「新たな視点とは、何かね。そのイセの事件から、君は何を――」
「事はそう単純ではない、ということですよ」
 人差し指で制帽をくるくる回しながら、彼は言った。
「レゾニアは急に態度を硬化させて、交戦準備を始めた。それを彼らの野心と素直に捉えることもできるのでしょうが――このイセの事件と、もう一件」
 話しながら端末に手を伸ばしたが、異星人のように真っ赤になっている参謀を上目うわめで見て、引っ込める。
「――まあ、また雷が落ちそうだから端折はしょりますが、どうも表からでは説明のつかない動きが見られる。つまり、今回の彼らの進軍には」
 裏がある――。
「――かもしれない、ということです」
 おしまい、と言わんばかりに制帽を顔に載せて、彼は最初の体勢に戻った。
 イリアは周囲の視線を防ぐように頭を抱え、深々と嘆息した。

 もうちょっと改めた方がいいと思いますけど、とイリアは会議後に苦言を呈した。
「改める?」
 小首を傾げる彼と並んで歩く。幅広の通路はひっきりなしに人が行き交っている。
「さっきの態度。曲がりなりにも軍議なのだから、せめて形だけでもちゃんとしてください」
「形だけ、ねえ」
 気の抜けた笑みを浮かべて、彼は肩をすくめる。
 ロニキス・J・ケニー。地球連邦軍大佐であり、戦艦カルナスの艦長を務めている。イリアはアカデミー卒業後に科学士官としてカルナスに配属され、直近の人事異動により副官を任ぜられた。つまりイリアにとって彼は直属の上官であるのだが。
「ただでさえお偉方えらがたに目をつけられているのだから。また僻地へきちに飛ばされても知りませんよ。せっかく提督の計らいで戻していただいたのに」
 これでは副官というよりお目付け役である。実際、今回の人事はそうした意図もあったに違いない。暴れ馬に綱をつけて手懐てなずけておけという――。
 荷が重い。
「だが、君もつまらなそうにしてたじゃないか」
「な、何がですか」
「会議。こんなの時間の無駄、みたいな顔していたよ」
 図星を突かれて一瞬動揺したが、すぐに取り繕う。
「そりゃ、まあ。でも私は艦長より大人ですから」
「形だけでもちゃんとしていた訳だ。なるほど、大人だね」
 意趣返しのような言葉に睨みつけると、ロニキスは大袈裟おおげさに怖がる仕草をしておどけてみせた。横を通った下士官が振り返り目を丸くしている。
「ま、ああいう会議も旧態依然というか古色蒼然こしょくそうぜんというか、この時代にいつまでやってるのやらという気持ちは判るけどね」
 考えていたことまで読まれている。そんなに顔に出ていたかとイリアは思わず下を向く。
「でも、裏を返せば、何かしら有用だからこそ今の時代まで続いている、とも言える」
「有用、ですか?」
 あんな非効率極まりない軍議に、有用なところなどあるだろうか。
「我々は先人たちが積み上げてきた歴史の上に生きている。彼らが成し遂げた所業がなければ今の私たちはない」
「それは勿論もちろん、敬意を払うべきとは思います。ですが」
「そう、時代は変わった。彼らのしてきた慣習の多くは、今では通用しない」
 時代が移ればパラダイムも――常識も変わる。常識とは、その時代に生きる者たちの最大公約数的な価値観に過ぎない。普遍的なものでは、決してない。
「だが、だからと言って彼らのしてきた何もかもを棄ててしまうというのも、正しいあり方ではない。我々は先人たちが貯えた歴史の海から、汲むべきところを汲む。その基準は――」
 結局、人間性なのだろうね、とロニキスは結んだ。
 意味が解らなかった。
 通路を抜けて、艦渠ドックに入る。イリアは正面の大型モニターでカルナスが停機している位置を確認する。
「例えば、これも『汲み取られた歴史』の一部だ」
 再び歩き出すと、ロニキスは制帽を取って示しながら言った。先程の話の続きらしい。
「あまり見ないデザインですね。どうしたんですか、それ」
 そもそも彼が式典以外で帽子を被っているところを見るのは初めてだった。軍支給の制帽すら髪型が乱れると嫌がっていたのに、どういう風の吹き回しだろうか。
「三百年前の連邦軍の制帽だよ。うちのご先祖の形見」
「三百……年?」
 その時代の、彼の先祖と言えば。
「もしかして、『光速のスティーブ』ですか?」
 そうそう、光のご先祖様とロニキスは軽口を叩いたが。
 スティーブ・D・ケニー。人類初のワープ航法を成功させたことで知られる、宇宙時代黎明れいめい期の軍人である。地球人ならばその名を知らぬ者はいない、まさしく歴史の偉人である。
「って、何でそんな貴重なもの持ち出しているんですか」
「別に貴重じゃないよ。素材もほら、案外安っぽい」
「そういう意味じゃないです」
 手渡そうとしてきたが、触れるのはおそれ多い気がしたので断った。大昔の品のはずなのにほとんど劣化が見られない。特殊なコーティング加工でも施されているのだろうか。
「これを被っていた御仁ごじんも、人類初なんて持てはやされているけどねえ」
 英雄の形見を被り直しながら、子孫が言う。
「実のところ、用意されたふねに乗っただけで本人は別段何もしていない。その艦だって自前でこさえた訳ではないのだし」
「それはまあ……そうかもしれないですけど」
 初めてワープ航法を実現させた艦は、当時の先進異星人たちの技術供与によって造られたというが、その内実は彼らに手取り足取り教わって、指導されるまま造っただけであったらしい。
「にも関わらず、彼の『功績』は後世語り継がれ、今に残っている。そうすることが人類の発展に有用だったからだろう。それはすなわち」
 象徴としての――有用。
「我々は人間だからね。何かしら『象徴』が欲しいのさ。つまらない会議も、うちのご先祖も」
 いささか煩わしいがね、と最後に呟いたのを、イリアは聞き逃さなかった。

 ロニキス・J・ケニーは、いかにも評価が難しい男である。
 名門の一族として期待を一身に背負い、当人もそれに気負うことなく連邦軍大佐として数多あまたの戦績を上げてみせた。若い頃に蓄えた膨大な知識と、それに裏付けられた大局観と戦況を見抜く眼力には定評があり、彼によって切り抜けた危機は枚挙にいとまがないという。
 その輝かしい軍功の一方で、彼独特の言動は事あるごとに周囲の――主に上官の顰蹙ひんしゅくを買っていた。無作法というほどではないのだが、基本的に遠慮がない、配慮がない。興味のあることにはとことん首を突っ込むが、つまらないことには一切関わろうとしない。
 イリアも度々振り回され、肝を冷やしたものだが、最近は免疫ができたのか動じることも少なくなった。彼は彼なりの整合性を持って行動しているし、言っていることもいちいちもっともではあるのだ。それに気づいてからは、よほどのことがない限り好きにさせることにしている。
 彼をいさめる役回りである副官としては、正しい態度ではないのかもしれないが。
 ――でも。
 イリアが彼に甘い理由は、もう一つあった。
 そもそも彼がそうした言動をするようになったのは、ここ数年のことだという。イリアは知らないが、若い頃のロニキス・J・ケニーは堅物かたぶつで生真面目で、いかにも軍人然とした人物だったらしい。家柄に加えてスマートな容姿も相俟あいまって、当時は軍内でも凄まじい人気だった――と当時を知る女性の上官から聞いたこともあった。
 今でもその一端はうかがい知ることができる。ごくまれに見せる精悍せいかんな横顔は、イリアを度々はっとさせた。
 彼に変化をもたらしたのは、身内の不幸だった。
 ロニキスは若くして結婚している。相手はやはり有力な軍閥ぐんばつの娘で、半ば政略結婚に近いものだったらしいが、それでも当人たちは関係なく、互いに深く愛し合っていたという。
 だが、彼女は重い病に冒されていた。根本的な治療手段のない難病であった。交際中の発症であり一時は結婚も危ぶまれたが、ロニキスは自分が身命を賭して彼女を支えると誓って、親たちを押し切ったという。
 その誓いに偽りはなく、彼は結婚後も彼女を支え続けた。毎日欠かさず病床の妻を見舞い、仕事の合間を縫って看病し、あらゆる治療法を模索した。それは決して悲壮なものではなく、むしろ前向きで、本当に乗り越えられるとどちらも信じているかのようであったというが――。
 現実は、いつだって非情である。献身虚しく最愛の伴侶はんりょは、彼の見守る前で静かに息を引き取った。
 葬儀に参列した者の話では、彼は抜け殻のようだったという。上官の勧めで休職し、それから一切人前に姿を見せなくなった。果たして立ち直れるのかと周囲は心配したが。
 半年後、彼は唐突に復職した。妻の死を引きずっている様子はなかったが、一方で彼の代名詞ともいうべき生真面目さはすっかり失われ、くだんのように――変わってしまっていたという。
 半年の間に彼が何を思い、どのような心境の変化があったのか、イリアには想像すら及ばない。イリアは誰かを深く愛したことも、愛する者を喪ったこともない。
 ただ。
 実際のところ、彼はそんなに変わっていないのではないかと、イリアは時折思うこともある。昔の生真面目さも今の不遜ふそんな態度も、正反対なようで――どこか共通項があるような気がする。
 その共通項は、未だ見出すことができていないけれど。
 ――放っておけない。
 多くの人間が、彼を見放した。上層部で彼を評価しているのは、今や提督のみ。その提督も周囲の圧力に押されて見限るかもしれない。
 でも、イリアは。
 もう少し、この変わり者の上官を――そばで見ていたい。
 密かにそんな思いを、抱いていた。

 だが。
 今回ばかりは、イリアも見限ろうかと真剣に考えた。
「本気で仰っているんですか?」
「私はいつだって本気だよ」
 戦艦カルナスのブリッジ。正面のスクリーンは艦外の景色――漆黒の宇宙空間を映している。
 現在は通常警邏けいらの遂行中である。セクターθシータに点在する基地や重要拠点を回って異常がないか確認する任務なのだが――。
 突然、ルートを外れると言い出した。気になる場所があるから見に行こうと、まるで散歩の途中で思いついたみたいに。軍隊の任務を何だと思っているんだ、この人は。
「ちょっと寄り道するだけだから、大丈夫だよ。所定の時間までには帰れる」
「あのですね」
 呆れている場合ではない。イリアは額に掌底しょうていを押し当てて抗弁の言葉を探す。
「連邦の所属艦は全て本部で航行記録が取られています。ルートを外れたりしたら間違いなく理由を問われますよ。どう答えるんですか」
「いや、だから気になる場所が」
「そんな理由が通じると思っているんですか。平時ならまだしも、今はレゾニアのことでお偉方もピリピリしているんです。刺激するような真似は慎んでください」
 刺激するな、空気を読め、配慮しろ。
 正直、あまり使いたくない言葉だった。イリア自身もそういう深慮は苦手だし、自分が言われたらさぞかし反感を持ったことだろう。
 口うるさい、嫌な女と思われるかもしれない。でも、今はとにかくこの場を収めなければ。
「ふむ」
 ロニキスは急に真顔になって黙った。二人の周囲ではクルーたちが黙々と仕事をこなしている。きっと聞き耳を立てているに違いない。
 気まずさをこらえながら、イリアは身構えたが。
「虎の尾を踏む――というやつかな」
「は?」
 返ってきたのは、全く予期しない言葉だった。
「故事やことわざというものは、先人たちの知恵が凝縮されている。うん、君は実に正しい。その正しさは大切にした方がいいね」
 唖然とするイリアをよそに、ただ、とロニキスが続ける。
「正しいことが常に良い結果を生むとは限らない。その事実もまた、歴史が示している。私はね、正しさよりも」
 全てが済んで、振り返ったときに。
 皆が「良かった」と思ってくれる選択を取りたいんだ――。
 イリアは目をみはる。
 いつもと変わらない、柔和な表情。だが。
 その内側に潜む、彼の『芯』を――ふいに垣間かいま見た気がした。
 ――はあ。
 どうしていつもこうなるのだろう。流されまいと思っていても、気がつけば彼にペースを握られている。自分が甘いのか、それとも――。
 その先は、あまり認めたくなかった。
「で、艦長はどこに行きたいんですか」
 そう来なくちゃと、ロニキスは揚々ようようと端末を取り出す。近くのクルーがこちらを見てニヤニヤしていたので、睨み返してやった。
「ここ」
「ここ、って」
 彼が示した画面には、レゾニアの活動記録が表示されていた。先程の報告書の一部だ。そのページに記されていたのは。
「『探査艇と目される小型艦がセクターθの辺縁域に侵入。約二十分滞在の後離脱。被害なし――』」
 日付を確認すると、十日前の記録のようだが――。
「気になってたんだよねえ、これも」
 ロニキスが言う。どうやら会議で言っていた「もう一件」はこの件のようだ。
「こちらの偵察だとしても、一体何を偵察したのやら。確かに地球には近いが、基地も施設も何もないし、戦略上も大して重要な場所ではないんだよ、ここ」
「そう……ですね。言われてみれば、確かに」
 会議では単なる偵察行為であり、交戦準備の一環として片づけられていたが、改めて詳細を見れば、こんな場所を偵察したところで何の準備にもならないことは明白だ。
 この付近にあるものといえば、小規模の散光星雲、太陽と同型の恒星、それに――。
「未開惑星が――あったと思います」
「ほう」
 未開惑星ねえと、ややけた頬を指で撫でながら思案する。こういうときだけは貫禄がある。
「やはり、現場に行って確認したいところだね」
「確認って何をですか。まさか今日もレゾニアが来ているとでも言うんですか」
 イリアの言葉に、ロニキスは不敵に笑ってみせた。何やら含みがありそうな気もしたが。
 それより、今考えなければならないことは。
「ルート逸脱の口実、か。さて――」
 どうするか。ブリッジを歩き回り、あれこれ頭を巡らせたが。
「――ワープの不具合、くらいしかないか」
「そんな嘘、すぐにバレますぜ」
 呟きを聞いていたクルーが言う。
「ええ、判ってる。だから――私のせいにする」
「え?」
 装置の誤作動により、やむを得ずワープ実行。ところが。
「『誤作動』は、私の見間違い。ヒューマンエラーを直接の原因とする」
 他のクルーを守るには、自分が泥を被るしかない。その他の判断を間違えなければ自分も戒告程度で済むだろう。
「大変ですねえ、副官殿も」
「同情するなら代わってくれる?」
「いやあ」
 無理っす、と半笑いで断られてしまった。どういう笑いだそれは。
「心配ないよ。責任は私が取る。君のキャリアに影響するようなことにはさせない」
「当たり前です。誰のせいでこんな――」
 頭を掻き回しながら、指令台の下にある自分の席に着く。そして一度振り返り。
「この貸し、必ず返してもらいますからね」
「地球に戻ったら一杯おごるよ」
 十杯、と即座に訂正させた。相変わらず蟒蛇うわばみっすねえと隣のクルーが揶揄からかってきたが、それも無視した。
 ――まったく。
 イリアは正面に向き直り、深呼吸して頭の中を整理する。それから艦内モニターの記録開始ボタンを押して。
「――ワープ装置の起動を確認」
 芝居を始める。
「装置の励起れいき率六十パーセント。キャンセルによる当艦への負荷が懸念されます。このままワープを実行すべきと考えますが――艦長」
「それじゃあ仕方ないねえ。許可する」
 偉そうに。
 一瞬演技を忘れてムッとしたが、すぐに気を取り直してクルーに指示をする。
「目標地点は」
「え、ああ……そうね」
 イリアは慌てて自分の端末を取り、報告書の例の項を出してそこに記された地点を告げる。これも後で言い訳を考えておかなければ。
「セット完了。いつでも行けます」
「ありがとう。――ワープ開始」
 加速が始まり。正面のスクリーンの景色が変わる。輝く星々の点が放射状の光線となり、中心に吸い込まれる渦と化し――。
 閃光。
 次の刹那せつな、再び星の海へと戻っていた。
「ワープ完了。モニタリング数値に異常なし」
「了解。これよりワープ装置の点検を行います――」
 イリアは艦内記録を止めて、ふうと息をついた。
「君は本当に何でも器用にこなすねえ」
 お見事、と芝居が終わったのを見計らってロニキスが拍手した。他のクルーからも笑いが洩れる。
「微妙なフォローは結構です。で、ここからどうするんですか。あまり時間はないですよ」
「そうだねえ。――ん?」
 手元のモニターを眺めていたロニキスが、何かに気づいた。
「二十一番、スクリーンに出して」
 スクリーンの映像が切り替わる。二十一番は左舷前部付近のカメラか。
 一面の宇宙空間。その下の方に青い星があった。白い雲が渦を巻き、大気の層も確認できる。
 ということは、あれが。
「例の未開惑星――」
 アーカイブで見た、過去の地球によく似ていた。思わず見とれていると。
「よく見て。その星の近く」
 ロニキスに指摘され、惑星から目を移す。
「これは……」
 いくらか距離を置いたところに、何かが浮遊している。遠目だと衛星のようにも見えたが。
「小型艦……しかも、この型は」
 レゾニアの、偵察艇。まさか――。
「ビンゴだったねえ」
 イリアが指令台を振り返ると、彼は何でもないように肩を竦める。
「そんな驚かれても、ただの偶然だよ。ま、次に動きがあるなら今日あたりじゃないかと見当はつけていたが」
 前回の偵察が、十日前。頻繁に動いてはさすがに目につく。こちらに怪しまれないように再び訪れる機会を窺うとすれば――確かに十日ほど間隔を置くか。偶然には違いないが、ある程度の蓋然がいぜん性は見込んでいたのだ。
 それにしても。
「何を……しているんでしょうか」
 連邦とは無関係の、未開惑星である。その軌道上で一体何を偵察しようというのか。
「怪しいねえ。ということで」
 ポチっとな、とロニキスは映像の記録スイッチを入れた。さらにカメラを小型艦にズームさせる。まだこちらの存在には気づいていないようだが。
「あ」
 動きがあった。艦の下部から筒状のパーツがせり出して。
 未開惑星に向けて、何かを――射出した。
 まさか。
「爆撃? いや――」
 惑星の方に変化はない。攻撃ではなかったようだ。
「射出したのは直径約二メートルの楕円形……カプセル状の物体のようです」
 クルーが報告する。
「惑星内に落下した模様ですが、地表への到達は今のところ確認できません」
「脱出ポッド……にしては小さいか。そもそも脱出する状況でもないし」
 考えあぐねてイリアは指揮官を仰ぎ見る。彼も遠目でしばらく固まっていたが。
「ま、ここで考えていても仕方ないね。下手な考え休むに――何だっけ?」
「知りませんよ」
 わざわざ諺を使うなら、ちゃんと憶えていてほしい。
「やはり、こんなとき頼りになるのは先人の『遺産』――ということで」
 お借りしますよ、とロニキスはかたわらに置いてあった制帽を取り。
 人類の進歩と発展。その象徴を――頭に戴いた。
「目的は不明であるが」
 そして彼は、地球連邦軍大佐の顔になる。
「事実として、彼らは何らかの人工物を惑星に投下した。これは明らかに未開惑星への干渉と認められる行為であり、すなわち」
 未開惑星保護条約違反に該当する――。
「――あ」
 もしかして、これが。
 レゾニアとの交戦。その大義を得るために、彼はこのルート逸脱を――?
 全ては偶然である。だが彼は、誰にも見えていなかったその偶然に連なるか細い糸を見出して、引き寄せて。
 偶然を必然に――してみせたのか。
「これより当該艦に対し通告を行う。各員はあらゆる反応に備えて監視を継続すること。それと――イリア」
「は、はい」
 いきなり呼ばれて、思わず背筋を伸ばす。
「今の証拠映像を本部に送信して。それと、提督宛に」
 カモネギきたる、出迎えよろしく――。
「そう送っておいて」
「か、カモネギ?」
 まるで意味が解らない。通信略号みたいなものだろうか。時代錯誤もはなはだしいが。
「……わかりました」
 ここは素直に従うことにした。
「さて、それじゃあ」
 始めますか、とロニキスは通信回線のスイッチを入れた。
「こちらは地球連邦軍所属艦カルナス。貴艦に通告する――」
 未開惑星への干渉を確認。条約に基づき取り調べを行うため、任意同行を求める――。
 淡々と用件のみを通達していく。対外向けということもあってか、普段のような遊びを入れることはなかった。生真面目を絵に描いたようだったというかつての彼の片鱗を、イリアは見た気がした。
 映像を押さえていることも告げてから、ロニキスは回線を切った。
「さて、どう出るか――」
 そのまま相手の出方を窺う。通信の応答はない。拒否されたか。
 だが向こうは偵察艇である。恐らく最低限の兵装しか備えていないはずだ。曲がりなりにも戦艦であるこちらとやり合っても勝算などあるはずが――。
「お?」
 相手の艦に動きがあった。ぐるりと船体を回してこちらと相対する。
 ――まさか。
 戦うつもりか。イリアが戦闘態勢を取ろうと操作パネルに手を伸ばしかけた、そのとき。
 警告音が鳴り響いた。
「レーダーに反応あり! 当該艦の後方に、こ、これは」
 スクリーンを見る。
 正面を向くレゾニアの偵察艇。その背後に、次々と。
 大型艦の船影が――空間の闇から抜け出るように、姿を現した。
 その数、スクリーンに映っているだけでも十数隻。奥には旗艦らしき巨大戦艦も見えた。紛れもなく――艦隊である。
「ほう凄い。これぞ『一匹見たら三十匹』」
「感心してる場合ですかッ」
 というかそれは諺じゃない。
「て、転進ッ。緊急離脱します。後部にシールド展開!」
 砲撃が来る。間一髪でシールドが間に合い、直撃は免れたが。
「問答無用、って感じだねえ。よっぽど見られたくないことだったのか」
 衝撃でブリッジが揺れる。その最中さなかでもロニキスは平然とパネルを操作し、ふむとあごに手をやる。
「一体どこから出現したんだろうなあ。ワープではないし、レーダーにも反応なかったし――」
「考察は後でやってくださいッ」
 頼もしいんだか、頼りないんだか。
 多勢に無勢だ。とにかく逃げるしかない。背後からの砲火をしのぎつつ基地へと急ぐ。
「副官、ワープは」
「無理よ。こんな状況じゃ――」
 ワープを使用するには一旦シールドを解除しなければならない。シールド解除からワープ実行まで約二十秒。その間、無防備でこの砲火を耐えきれるとは思えない。
 だが――。
「シールドの出力、五十パーセント切りました。こ、このままでは」
 基地までたない。一か八か、ワープに賭けるしかないのか。
 イリアは振り返る。ロニキスは。
「大丈夫だ」
 スクリーンに視線を向けたまま、そう言った。
 イリアは目をしばたたく。帽子のせいだろうか、その姿が一瞬。
 映像で見た、かつての英雄の雄姿に――重なった。
「ほら、来たよ」
「え?」
 イリアもスクリーンを見る。
 進行方向、その先に――いくつもの船影が。
「提督一行のお出迎えだ」
「提督? ……あ」
 先程の、略号のようなメッセージ。あれか。
 この人は、この状況まで見越して――?
 通信が入る。
〈大佐、この騒ぎは何事かね。今回は何をやらかした〉
「見ての通りですよ、提督。レゾニアです」
〈それは判るが――まったく、届いたメッセージもさっぱり解読できんし。どうせ君のことだから一悶着ひともんちゃくあるだろうと踏んで駆けつけたが〉
「はぁ?」
 思わずイリアは変な声を上げてしまった。
「さすがは提督。英断痛み入ります」
 当人は満足げだが……あのカモネギは結局通じていないじゃないか。提督が空気を読んで動いてくれなかったら、どうするつもりだったんだ。
〈あの映像は確実なのだな〉
「ええ。彼らは未開惑星に工作しています。通告した我々も攻撃を受けましたし」
 交戦の根拠には充分でしょうとロニキスは言った。やはり、狙いはそれか。
〈そうか。ならば……これより戦闘を開始する。君は後方について〉
「いえ、私は」
 もう一仕事してきますと言って、彼は自ら操縦席に座った。
「艦長?」
 止める間もなくロニキスは自動操縦を解除し、操縦かんを握って。
 艦を反転させ――レゾニアの艦隊に向かっていった。
「何してんですかッ」
 シールドすら張っていない。一発でも撃ち込まれたら終わりだ。
 だが、意外なことに攻撃は来なかった。そのまま艦首を下げ、艦隊の下に潜り込む。
 それからようやく砲撃が来たが、いずれも散発で狙いも定まっていなかった。統制が取れていない。いきなり連邦の艦隊が現れたことで動揺が広がり――指揮系統が混乱しているのか。
「機を見るにびん――」
 右に左に攻撃をかわしながら、ロニキスは呟いた。
「人類の歴史は戦争の歴史でもある。哀しいことではあるが、その歴史からも我々は」
 汲むべきところを汲み取って。
「生き延びて――命を繋いでいく――それが」
 過去を生きた者への敬意であり。
 今を生きている我々の、使命なのだと――。
「艦長――」
 イリアは少しだけ、解った気がした。
 やはり彼は変わってなどいないのだ。内側に隠された芯には、今もたぶん。
 彼女が――いるのだろう。
 ならば、自分は。
「――主砲準備。エネルギー充填開始」
 このじりじりとくすぶる胸のうちを、ひとまず押し込めて。
「合ってますよね、艦長?」
 そう尋ねると、彼は。
「ああ。正解だ」
 にこりと笑って、応えた。
 カルナスが艦隊の後方に回り込み、静止する。
 その正面に捉えたのは――敵の旗艦。
 イリアは照準を合わせ、ひといきに。
 主砲を、放った。

 ――私も、負けませんから。

 結局、巡回ルート逸脱の件は不問となった。取り調べすらろくに行われず、処分を覚悟していたイリアにとっては正直拍子抜けだった。
 それどころかレゾニアとの交戦における活躍により、カルナス全乗員に叙勲じょくんの動きまであったらしいが、そちらも結局上層部の反対により実現しなかった。先の任務違反の件で帳消し、といった判断だったのかもしれない。
 何はともあれ彼が巻き起こした一連の騒動が収束し、副官であるイリアもようやく肩の荷を下ろすことができた。慣れない芝居までして作った口実が無駄になったことは、いささか残念な気もしたが。
 ロニキスの方は、その後もまるで何事もなかったかのように普段通りだった。相も変わらず軍議で不用意発言をして、並居る歴々を辟易へきえきさせている。イリアの悩みの種は尽きそうもない。
 ただ、今回の功績により彼を排除しようという動きはひとまずついえたようだ。後ろ盾である提督の影響力も増したことで、当面は左遷される心配はなさそうだ。
 もう、あんな最果ての惑星で謎の装置の調査をするのはりだった。時空間転移を可能にする――タイムゲートだったか。あれは人間が触れてはいけない類のものだったように思う。
「ウイルス――ねえ」
 ロニキスが呟いた。
 戦艦カルナスのブリッジ。彼は操縦席を倒し、旅客艦のファーストクラスさながらにくつろいでいる。
「何でそんなものを打ち込んだのやら」
 端末で見ているのは、今回の件の報告書か。レゾニアが未開惑星に落とした人工物――あの正体は、ウイルスに感染した生物を格納したカプセルだったという。詳細な分析はこれからだが、感染者を石化させるという極めて特殊なウイルスのようだ。
「気になりますか?」
「うん? ――まあねえ」
 ロニキスはこちらを少しだけ見て、すぐまた視線を端末に戻した。照れているように見えたのは気のせいか。
「そういえば」
 短く刈った髪を掻きながら端末と睨み合いしている様子を見て、イリアは思い出した。
「今日は持参していないんですね、ご先祖の形見」
 スティーブ・D・ケニーの制帽。あれを被って指令台に立つ姿は、なかなかさまになっていたが。
「ああ、あれね」
 今度はしっかりこちらを向いて、言った。
「嘘だよ」
「え?」
「先々週だったかな。地球に帰ったとき、土産物屋の店頭であれを見かけてね。昔の写真でご先祖が被っていたのに似ていたから、つい買ってしまって」
「みやげ……もの?」
 全然、貴重じゃない。素材も安っぽい訳だ。
「いつ君が気づいて指摘してくれるか、待っていたんだけどなあ。ま、やっぱり帽子は性に合わないね。肩が凝るからもう被らない」
 ――呆れた。
 やはり、この男は一筋縄ではいかないようだ。少しでも理解した気になっていた自分が馬鹿だった。
 でも。
「それで、艦長」
 本日はどちらに、と取り澄ました顔を作ってイリアは尋ねた。
「君も私の行動パターンが読めるようになったねえ」
「そりゃあもう。甚だ不本意ですけど」
 いつか、全部理解してやる。無理なのはわかっているけれど、それでも。
 歴史を受け継ぎ、未来さきへと繋いでいくであろう、この人間ケニーを――。
 誰よりも近い場所で見続けていようと、心に決めていた。
「次の目的地は」
 彼が、その場所を告げる。そして。
「未開惑星――ローク」
 果てなき星の海。その新たな歴史が――始まる。

(了)