REUNION

エルネスト視点の短編。時を進める者とも多少の繋がりがありますが……今後の展開は未定です。


 夢だったのかしらねぇと、イリアは小首を傾げて頬を緩ませた。
 仄暗ほのぐらい店内。グラスを傾ける仕草で誤魔化ごまかしながら、エルネストはその横顔を盗み見る。
 形のいい鼻梁びりょうと笑みをたたえた唇が、間接照明の明かりを受けて輪郭を結ぶ。頬の赤みは酒のせいか、それとも暖色系の光による錯覚か。
「今となっては、何だか自信なくなってきちゃって」
「だが」
 居合わせたのは貴女だけではないのでしょうと、エルネストは確認する。
「クロードの話では、あの作戦には十名前後が関わっていると」
「そうよ。あの時も艦長――うちのロニキスと、ローク人の二人に、後は――」
 三百年前の人たちか、とイリアは金髪を揺らしてくつくつと笑い出す。
「ああ、ごめんなさい」
 エルネストの視線に気づいて、肩をすくめる。そして遠い目をして。
「もう何もかもが現実離れしてるな、って思っちゃって。あの二十年前の出来事全部が」
 夢の中だったんじゃないかしら――。
 そう呟き、細めた瞳の奥に浮かぶは懐古か、それとも寂寥せきりょうか。
「確かに」
 現実感リアリティに欠ける経験というのは困りものですねと、エルネストも壁際で瞬くアンティークライトに目をせた。
「私も――あれからまだ一年ですが、果たして本当に経験した出来事だったのか――」
 どうにも確信が持てない。あの場にいたのだという実感が、日々薄れていくのを感じる。
「そうよねぇ。だって、普通じゃないもの」
 未知のウイルスの宿主ホストを求めて過去にさかのぼったり。
 侵略を仕掛けてきた異星に少数精鋭で乗り込み、独裁者を打倒したり。
 あるいは三十七億年の遺恨を背負った人造人間たちと死闘を繰り広げ、世界の崩壊を阻止したり。
「普通じゃないですね」
「言葉にすると、余計にね」
 およそ、常識的な経験ではない。
 だが、現実である。激闘の苦痛も、危地にひんした絶望感も、そして――仲間と乗り越え成し遂げた、あのも言われぬ感慨も、地続じつづきの記憶として今なお明瞭めいりょうに思い出すことができる。
 まだ一年。だが、これから更に歳月が過ぎればそれらの記憶も徐々に失われ、いつしか自分の中の現実リアルから乖離かいりしていくのだろうか。
 そうなれば、後に残るのは。
「思い出の切れ端のみ――」
「え?」
 隣席からの反応に、はっとする。内なる呟きのはずが声に出ていたらしい。
「申し訳ない。いささか――余計なことを考えていました」
 取り繕うように追加のグラスを注文した。飲みすぎねとイリアもカクテルを頼む。
 店員がカウンターに氷の入ったグラスを置き、琥珀こはく色の酒を注ぐ。背後の席では数人の男たちがテーブルを囲んでカードゲームに興じている。
 懐古調レトロスタイルのラウンジバー。地球では少し前に先鋭化され過ぎた生活レベルを見直す動きが広がり、その一環でこうした古風な店舗も増えているという。
 エルネストは地球人ではない。文化もセクターも眼球の数さえ異なる来訪者ストレンジャーである。にもかかわらずこの光景にどこかしら懐かしさを覚えるのは、知的生物として進化を経て、歴史を積み重ねてきた種族としての共通認識のようなものがあるのかもしれない。
 ――歴史。
 そう、歴史だ。
「このような場で女性にする話ではないかもしれませんが――」
「無粋はお互い様よ。私も口説かれたりなんかしたら困るし」
 そううそぶいてカクテルに口をつける横顔は、充分に魅力的なのだが。成人した息子を持つ母親とはとても思えない。
「歴史的な評価はどうなのですか。その――」
「ムー文明?」
 うなずくと、イリアはグラスを置いて小首をかしげる。
「評価と言ってもねぇ。大昔に完全否定されちゃったから」
「発端は六百年前の作家――でしたか」
 エルネストも、一通り下調べは行っていた。
 チャーチワードという名の作家があらわした一冊の本が、全ての始まりであったという。一万二千年前まで存在したとされる幻の大陸と文明について記されたその書物は、空想の産物とするには余りあるほどのリアリティにあふれ、また存在を立証する論拠も示されてあったため、その実在を巡って半世紀もの間、論争が繰り広げられた。
 だが、その後の科学技術の進歩により未知の領域だった深海の探索が可能となり、大陸が存在したとされる地点についても詳細に調査が行われたが――。
 存在を肯定する痕跡は、何一つ見つからなかった。のみならず堆積物などの分析の結果、彼の地は数千万年前から海であったことが判明し、チャーチワードの主張は学術的には完全に退けられた。その後ムー大陸はある種の伝説としてオカルティズムと結びつき、しばしば世間の耳目じもくを集めることもあったというが、いずれ現実的な話として俎上そじょうに上ることはなくなった。
 だが。
「貴女がロークで見てきたものは――」
「夢じゃない――と思いたいんだけどねぇ」
 手元のグラスを弄びながら、失恋した少女のように嘆息する。その無防備な様子にエルネストはどことなく据わりが悪くなる。
「話も聞いたし、地図も見た。でも、それを証言できる人間は私を含めてたった四人。しかも三百年前の出来事だっていうのだから」
 ほとんど夢みたいなものね、と彼女は再び目を細める。
「現在は、その場所には」
「行けなかった。今のパージ神殿の調査もしたけど、結局辿たどり着けず。何か特殊な仕掛け……封印でも施されているのかもね」
「そうですか……」
 この線も、手詰まりか。エルネストは口許で手を組み、眉間に皺を寄せる。
 やはり、一筋縄にはいかない。手がかりと思って掴んだ糸はことごとく途切れている。調査を始めると決めたときから覚悟していたことではあるのだが。
 ――それにしても、これは――。
「そもそもの話、聞いていい?」
「ああ、失礼。どうぞ」
 隣から探りつつ問いかけられて、思索の海から戻る。どのくらい沈思黙考ちんしもっこうしていたのだろうか。
「どうしてこんな、実在すら疑わしいものを調べようと思ったの? 考古学的に――いや、畑違いの私が言うのも何だけど、正直もっと適切なテーマがありそうなものだけど」
「そうですね」
 その見解は極めて正しいですと、エルネストは笑みを返した。
 エルネストは考古学者である。母星の大学で教鞭きょうべんかたわら、フィールドワークとして各地の遺跡、旧跡におもむいて調査を行っている。その活動自体は他の考古学者たちと変わるところはないのだが。
「ただ、私はどうやら――異端のようで」
「でしょうね」
 イリアは腰の辺りに視線を落とす。そこには愛用の鞭が収まっている。
「そんなものを持ち歩いてる考古学者は、大昔のムービーでしか見たことない」
 ぐうの音も出ない。ただ少しは弁解しておこうとエルネストは口を開く。
「こいつもそれなりに実用性はあるのですよ。脳波で自在に操ったり、電流を流したり」
「ほうほう」
 それは実用的ねと子供の自慢話を聞くような笑顔で返されてしまい、エルネストも苦笑いする。
「まあ、御覧の通りのはみ出し者です。だから何かと厄介事にも巻き込まれる」
 その最たるものが、昨年の一件ではあるのだが。
「ですが、はみ出してみなければ見えないことも、往々にしてあるのですよ。そして、それこそが」
 真実に至る道筋の一端であったりする。エルネストはそのようにして様々な発見を成し遂げてきたのだ。
「なるほどねぇ」
 それを聞いたイリアは、妙に嬉しそうに何度も首肯しゅこうしてみせた。
「それで、今回もはみ出してみたわけだ」
「ええ。そして、恐らく」
 その先に――何かしらの『真実』がある。この件に関して、エルネストは確信にも近い感触を持っている。
「それは、今までの経験則からくる直感? それとも」
「直感も否定はしませんが……無論それだけでは」
 傍証ぼうしょう――というにはいささか頼りないが、あるにはある。
 エルネストは無精髭の生えたあごを撫でる。背後で気配が動いた気がして軽く目配めくばせしたが、何もなかった。客たちが相変わらずテーブルを囲んでカードを繰っている。
 視線を戻してから、続ける。
「『銀河紋章術フォーラム』――でしたか。先日あれの聴講に行きまして」
「おや」
 イリアは翠玉すいぎょくの瞳を丸くする。
「あなたもいたんだ」
「知り合いが登壇すると聞きましてね。地球ここに来たついでに顔を見ておこうかと」
「ああ、レオン博士ね」
 イリアは得心する。彼女も紋章術研究に関わる一人である。当然その存在は知っているだろうが、面識はあるのだろうか。
「前に一度会ったわ」
 そのことを問うと、彼女は相好そうごうを崩して話し始める。
「最初は口数も少なかったけど、紋章術の話になると途端に目をキラキラさせて、あれこれ話しだしたりして」
 面白い子ねとイリアは本当に面白そうに笑った。同じ分野に携わる者同士で馬が合ったのか――それとも。
「まあ、私は一般席で彼の講義を聞いていたのですが」
 エルネストは話を進める。
「その最中に、背後で何やら揉め事が起きて――」
 出入り口に近い、後方の席だったか。五、六人ほどの一団が突然大声を張り上げて主張を始めた。
 ――紋章術は悪魔の技術である。
 ――今すぐ研究を止めよ。さもなくば。
 ――断罪の天使が世界を灼き尽くすであろう――。
 断片的にしか聞き取れなかったが、確かそのようなことを叫んでいた。
 すぐに警備員が駆けつけて退出を促し、揉み合いとなった。なおも居座ろうとする一団を、警備員が席から引き剥がそうとする。その騒動の渦中で――。
 エルネストは見た。
 一団のうちの一人が、仲間たちの陰からふっと通路に抜け出して。
 壇上に向け、銃を――構えた。
 咄嗟とっさにエルネストは腰の鞭を取った。自律するワイヤーが蛇のように伸び、引金が引かれる前に銃を叩き落す。
 床に転がる凶器を認めた聴衆から悲鳴が上がる。警備員も血相を変え武器を構えるが、止める間もなく騒ぎの張本人は背後の出入り口に駆け込み、姿をくらませた。
 他の仲間も続いて逃げ出し、警備員が慌ただしくそれを追う。周囲が波を打ったように騒然となる中、エルネストは。
 座席を挟んで、一人の男と対峙していた。
 黒髪に、整った面長の顔立ち。あの一団の中にいたようだが――なぜ逃げない。それに警備もこの男だけ見逃している。というより、そもそも最初から気にも留めていなかった気がする。
 まるで、その存在を認識していないように。
 男はおもむろに歩き出し、銃を拾って懐に収めると。
 こちらに会釈をして――悠然と立ち去った。
 取り立てて特徴のない、恐らくは地球人の――男。だが、妙に気にかかったことをエルネストは憶えている。何か得体の知れないものに遭遇したような後味の悪さが、しばらく消えなかった。
「その騒動、私も憶えてる」
 イリアが言う。
「確か紋章術に反対している団体じゃなかったかしら。えっと」
「反紋章術運動――通称AHMアームと呼ばれている活動家団体ですね。紋章術を禁忌の術法と規定して、研究の中止を主張しているようですが」
「まあねえ。気持ちはわからなくもないけど」
 紋章術研究の第一人者は、意外にも理解を示した。
「誰だってわからないモノ、わからないコトは怖いもの。未知を拒絶するようにできているのよ、人間は」
 でも、と彼女は力強い眼差しで続けた。少しも酔っていない。
「だからこそ、未知に踏み入って既知に塗り替えていくことも必要なのよ。幽霊の正体見たり――じゃないけど、理解しなければ、解明しなければいつまでも怖いまま。そんなのは悔しいじゃない」
「悔しい――ですか」
 彼も、同じようなことを言っていた。やはり似ている。
「我々の分野では、こんな言葉もありますが。ミイラ取りが――」
「ミイラになる、ね。確かにそれは用心しないと。特にこういうオカルトと結びつきやすい研究は」
 とても危険、とイリアは顔をしかめる。
「あちら側に行ってしまった研究者も、何人もいるわ。みんな、戻ってこなかった」
「……そうですか」
 その声色に憂いが滲んでいるのは、研究を立ち上げた一人として責任を感じているからか。
 それとも――。
「で、その件がムー文明と何の関係が?」
「ああ、失礼」
 酒精のせいか、どうにも話がれてしまう。店員に水を頼んでから、エルネストは仕切り直す。
「その後、ふと騒ぎを思い返した折に――」
 ホテルに戻り、冷静な頭で数時間前の光景を反芻はんすうした。すると。
「気づいたことが――ありまして」
 揉み合う一団と警備員。そこから抜け出した男が銃を構える。狙うは壇上の――。
 いや。
 銃口は壇上よりも下の方に向けられている。狙いはレオンではなく――客席の最前列付近だった。左右の照準が同一軸だったため壇上と勘違いしたのだ。
 そのとき銃口を向けられていたのは、最前列中央――主催の招待を受け参列していたという――。
「私?」
 驚くイリアに、エルネストは神妙に頷いてみせる。
「貴女も紋章術研究では名の知れた方だ。狙われてもおかしくはないのでしょうが」
「いや、おかしいでしょ。だって」
 そう。彼女を狙うのは――不自然だ。
 凶行の矛先が紋章術の研究者であるなら、やはり真っ先に標的となるのはレオンのはずだ。イリアも創始メンバーとして研究を推し進め、その功績は決して小さくはないが、現在進行形での第一人者は彼である。今後の研究を阻止したいならそちらを狙うのが自然だろう。
 しかも、彼は壇上――最も照準を合わせやすい場所にいた。にも拘わらず、彼でなくわざわざ狙いにくい彼女イリアを狙ったということは。
「何か別の意図――理由があるのではないかと」
「それがムーアの件だっていうの? それって」
 あまりに牽強付会けんきょうふかいに過ぎる。
 確かにエルネストもそう思った。だが。
「まだ何か……根拠が?」
「ええ」
 上着の隠しから端末を出してカウンターに置き、ホログラムを起動した。グラスの横に画像が投影される。
「これは彼らが掲げている象徴シンボル――まあいわゆるロゴなのですが」
 中央やや左にAHMの文字。背後に重なって描かれている惑星は地球か。一見すると何の変哲もないロゴなのだが。
 エルネストは画像を拡大し、右側に寄せる。
 アーチ状の扉らしきものが描かれ、その内側は鏡のように左側の文字と惑星を反転して映している。だが、それも完全に対称というわけではなく――なぜか『H』の文字だけ、下半分が背景の惑星に溶け込むように消えていた。
 左側の『AHM』は、扉の中では――『MUA』と読むことができた。MUA――つまり。
「ムーア……?」
 イリアがこれまでにない困惑の表情を見せた。
「もう一つ」
 エルネストはさらに画像を動かし、扉の中の惑星にフォーカスを絞った。
 惑星――地球は左側では文字と重なっており輪郭くらいしか判らなかったが、こちらでは『H』の下半分が消えているため中心から下はほぼ全て視認できた。
 中心にあるのは周囲の陸地の形状からして、恐らく太平洋と呼ばれている大海。しかし、そこには。
 存在しないはずの大陸が、描かれていた。
「この大陸」
 貴女がロークで見たものと同じではないですかと、エルネストは問うた。
 イリアは画像を刮目かつもくしたまま、動かない。返事はなくともその反応で答えは知れた。
「どういうこと」
 戦慄わななく唇で、ようやく言葉を発する。
「私たちしか知らないものが、どうしてこんなところに描かれてるの? そもそも反紋章術とムーアに何の関係が――」
 にわかに取り乱すイリア。その背後に。
 不意に、ぬっと影が差した。
 男が立っている。テーブル席でゲームをしていた客の一人だ。こちらの会話がうるさくて文句でもつけに来たか。
 イリアもそう思ったのか、ああと頭を振って謝ろうとした――そのとき。
 視界の端に、ちらりと何かが光った。
 男の手許。指と指の隙間から垣間見えたのは。
 金属の――刃。
「イリア!」
 エルネストが叫び、イリアがはっとした。次の瞬間、男は下手から彼女の喉元めがけて刃を繰り出す。
 間一髪、彼女はカウンターに手をつき上半身をのけ反るようにして刃をかわした。そしてすかさず相手の懐に潜り込み。
 掌底しょうてい鳩尾みぞおちを一突きした。男は得物えものを落としてうずくまる。刃は剃刀かみそりのような小刀だった。イリアがそれを踏みつけて隠す。
 エルネストは腰の鞭を取りつつ、テーブル席を振り返った。男と同席していた者たちが机を挟んで立ちつくしている。
 加勢する様子はない。しばらく睨み合っていたが、結局彼らは一言も発することなく、こちらに背を向けて店を出て行った。
 その姿に、エルネストは先日の騒ぎを思い出す。そう、同じだ。狙われたイリア。襲撃に失敗して逃げ出す男たち。
 だが、今回は。
 イリアの一撃を喰らった男が突然起き上がり、覚束おぼつかない足取りで店の入口へと駆け出す。逃がすまいとエルネストは鞭を振った。
 するすると鋼糸こうしで編まれた鞭が伸びて、男の胴体に幾重いくえにも巻きつく。そのままエルネストが鞭を引くと、男は転んで床に頭をぶつけ、昏倒こんとうした。
「なるほど」
 確かに便利かも、とイリアが言う。エルネストは口許を吊り上げて返した。
「貴女も流石さすがです。その身のこなし、未だ衰えず――ですか」
「衰えてるわよ。でも、おかげで少し若返った気分」
「おかげで?」
 いぶかしむエルネストに、イリアは片目を瞑ってみせると。
「『イリア』って呼ばれたの、うちの人以外じゃ本当に久しぶりで。ちょっとだけあの頃に戻った気分」
「あ、いや……その、申し訳ない。咄嗟のことで、つい」
「いいのよ。何なら今後も……っと」
 意識を取り戻したか、男がじたばた藻掻もがき出した。拘束が緩まないようエルネストは鞭を握る手に力を込め、その前にかがんで顔を覗き込む。
「知ってる顔? もしかして、フォーラムで私を狙ったっていう」
「いえ、どうやら――違うようです」
 あのとき銃を構えていた男ではない。他の仲間たちとも――つぶさに見たわけではないので断言はできないが――違うようだ。
「お前も、AHMの一味か」
 返答はない。感情の読めないでこちらを睨んでいる。
「なぜ彼女を狙った」
 やはり答えない。イリアも隣から問いかける。
「いったい何なの。やっぱり紋章術の件? それとも」
 ムーアの、と言いかけたとき。
 男が笑い出した。壊れた機械のように全身を痙攣けいれんさせて。
「これだけは警告しておくか」
 唖然とする二人をよそに、彼は場違いに明瞭な声で言った。
「余計なことはするな。未知を既知に塗り替えたことで」
 壊れる秩序もあることを、忘れるな。
「余計なこと……?」
 数多あまたの疑問と、困惑。それらを残して、男は。
 がくりと脱力した。また気絶――いや。
 口の端から血が流れ落ちている。もしやとくびに触れて脈を確かめたが。
 既に事切こときれていた。指先はどこまでも静謐せいひつで、冷たくて。
 それを感じながら、エルネストは。
 新たな夢の始まりを――予感していた。