小説ヴァルキリープロファイル
────────。
あ?
なんだ──ここは。
暗ェな、おい。何も見えねェじゃねェか。
──ん? ああ。そうか。
俺は確か……そう、ギルドの刺客に襲われたんだ。連中が仕組んだ罠にまんまと嵌まっちまった。
小太刀で刺された傷は深かった。どうにか逃げて下宿の前まで辿り着いたけど、そこで力尽きて。
下宿屋の婆ァが大事にしていた花壇の花を見つめながら──。
死んだのか。
なら、ここはあの世ってワケだ。
呆気ねェもんだなあ、おい。
散々好き放題生きてきたから、未練なんてものはねェけどよ。
けど、なんかこう、もっと……。
──ところで。
あんた……誰だ?
魂を導く? ──ああ。
死神か。俺を地獄に連れて行こうってんだろ。
え? どうしてそう思うのか?
決まってんだろ。
俺が天国なんざ行けるワケがねェ。だったら行く先は──地獄しかねェや。
わかってんだよ。自分でもな。
俺がどんだけろくでなしの屑なのかってことは、自分が一番よく知ってる。
俺だってな、できることならもっとマトモな人生を送りたかったよ。
お日様の下を堂々と歩きたかった。人並みに真っ当な生き方をしてみたかったよ。
けど、無理だった。
俺は生まれたときから、屑になるしかなかったんだ。
親父は今の俺よりももっと屑だった。
ろくに仕事もせず飲んだくれ、気に入らないとお袋や俺に手を上げた。
耐えかねたお袋は俺を連れて逃げ出した。家を出て、別の男のところに転がり込んだ。
けど、その男も屑だった。お袋に娼婦紛いのことをさせて無理矢理働かせた。
嫌になったお袋は──首を縊
った。
あの姿は、一生忘れねェよ。
顔が紫色にぶくぶくと浮腫
んでよ、まるで化物みたいになっていた。
哀しいとも、怖いとも思わなかったよ。
ただ、死ぬとこんな風になるんだ──って、無感動に見つめていたっけな。
たぶん、あのときに俺は壊れたんだろうな。
いや、もしかしたら、とっくの昔に壊れていたのかもしれねェ。壊れている、ということに気づいたのか──。
ま、どっちでもいいや。
ひとり取り残された俺は、生きるのに必死だった。
どんなことをしてでも生き残って──復讐したかった。
誰にって? 決まってんだろ。
親父だよ。
あの屑がいなけりゃ、こんな惨めな目にも遭わなかったんだ。お袋だって死なずに済んだんだ。
生きるためには何だってやった。スリだの万引きだの、酔っ払いの追い剥ぎだの。時には貴族のガキを攫
って身代金をせしめたりもした。
ああ? マトモに働く気はなかったのかって?
馬鹿かあんた。世間知らずのお嬢様かよ。
身寄りもねェ小汚いガキなんて誰が雇うかよ。この荒んだ世の中のどこに、そんな篤志家がいるってんだ。
今だって、どの国も浮浪児がそこらじゅうに溢れてるじゃねェか。ジェラベルンあたりなんて酷いもんだったぜ。あの国は貴族以外はゴミ扱いだからな。
え、知ってる? だったらいいけどよ。
まあいいや。
最初は生きるための手段だった。けどよ、裏の世界ってのは泥沼だぜ。足を突っ込むうちにずるずる嵌まり込んで、気がついたら──抜け出せなくなっていた。
後はもう、なるようにしかならねェ。いっぱしの悪党の出来上がりだ。
あ? 復讐はどうなったのかって?
もちろん果たしたよ。親父の居所を探り当てて、乗り込んだ。
もう俺が誰かもわからないくらいに壊れていたけどな。
武器を突きつけるとガタガタ震えてよ。小便まで漏らして。
こんな奴のために生き続けたのかって思うと、虚しくなったな。
それでも、俺は殺した。膾
にしてやったよ。
屑を殺して、俺が新しい屑になったんだ。
なあ、もういいだろ?
俺は屑だ。屑の親父の血を引いた、正真正銘の屑だ。
だから、さっさと地獄に連れて行けよ。
──はぁ? 後悔?
あるわけねェだろ、そんなもん。
勘違いすんじゃねェぞ。別にこうなったことを恨んでるワケじゃねェ。
恨みがあったのは親父個人に対してだけだ。それも自分でカタをつけて晴らした。後はもう何もねェよ。
確かにろくでもない人生だったけどよ、それでもこれが俺の人生なんだ。
誰のせいでもねェ。自分で選んで、自分の足で歩いた人生だ。後悔なんてねェ。言い訳もしねェ。
──あ? 運命?
なんか薄ら寒い言葉だなぁ。そんなこと考えたこともねェが……まぁ、そうだったのかもな。
けどよ、そんな言葉で片づけちゃ、俺に不幸にされた連中が浮かばれねェぜ。
ああ、そうだよ。わかってるんだよ。
俺は大勢の人間を不幸にした。他人の不幸を啜って、俺は生き続けてきたんだ。
そんなこたァわかってる。わかってるけど……やめられねェ。屑の哀しい性だ。
ひょっとしたら、誰かが止めてくれるのを心のどこかで願っていたのかもしれねェな。自分じゃどうにもできねェから──。
だから、いいんだよ。
屑は屑らしく、地獄に堕ちるべきなんだ。
──え?
地獄がどういうところか知ってるかって?
詳しくは知らねェけど……い、いや、聞きたくねェよそんなの。聞いちまったら……。
か、皮を剥がれる? それから熔けた鉄を……く、口の中に?
や、やめろって、おい! せっかく格好つけてケツ捲っていたってのに。
……な、なあ。
もうちっとマシな処遇にはできねェもんかな。あんたの口添えでさ。
ほ、ほら、俺もそんな悪事ばかり働いてたワケでもねェし。そういうのも酌んでもらってさ。
なに? さっきと言ってることが違う? なにせ俺ァ屑だからな。へへへ。
お願いしますよ。少しだけ、ほんの少しでいいから。な?
──え? 考慮するから話してみろ?
ほ、ホントだな。本当に考えてくれるんだな。
よ、よし、それじゃ……。
待ってくれ。今必死に捻り出し……いや、選んでいるから。
あ、ああ。俺にだって、いい話は沢山あるんだよ。選り取り見取りで困っているとこなんだ。
……そ、そうだ。こんな話なんてどうだ?
──ギルドの仲介でな、とある貴族の始末を頼まれたんだ。
依頼人もどこぞのお貴族様でな、察するに貴族同士の権力争いだろうな。直接手を下さねェってだけで、あちらの世界もやってることは下々と大して変わりねェってことだ。
ま、こっちにゃ関係ねェ話だけどな。金持ちだけに報酬はたんまりだから、俺にとっちゃ、おいしい仕事ってだけだ。
きっちり依頼はこなしたよ。夜中に屋敷に忍び込んで、高鼾
の主の寝首を掻いた。別室の婆ァ……夫人も殺した。
けど、娘の命までは獲る気がしなくってな。まだガキみたいな歳だったから、まあ良心が咎めたってやつだな。
どうだ、いい話だろ?
……へ?
結局その娘をどうしたのかって?
い、いや、だから生かしたまま……その。
売ったんだよ。娼館に。
だ、だってよ、依頼はその家を潰すことだったんだ。娘が残っていたらマズいじゃねェか。
だから、そうするしかなかったんだよ。娼館だって路頭に迷うよりかは何倍もマシだろ? やることやってりゃ食いっぱぐれることはねェんだ。
………………。
だ、ダメか?
ダメか。
ダメだよなぁ。
ま、待ってくれ。今のは無しだ。他のを考え……思い出すから。
──そっ、そうだ、これはどうだ?
人助け……そう、人助けをしたことがあるんだ。
柄の悪い連中に絡まれていた爺ィをな、助けてやったんだ。そりゃあもう感謝されてな。家まで招かれて、礼金もたんまり貰って。
その爺ィとはそれからも仲良くしてもらってな、家に行くたびに小遣いを……え?
無心してたんじゃないのかって? 弱味を握ったから?
それは、その……いいじゃねェか。老い先短い爺ィが小金溜め込んでたって仕方ねェだろ。どうせあの世には持っていけねェんだ。だったら、くたばる前に頂いたってバチは……。
当たるか。やっぱり。
………………。
い、いや、待て。まだある。あるハズなんだ。
ええと……ああ、くそッ。思い出せ。何か……何かなかったか。
物を盗んだ。人を騙した。女も売ったし、博打でイカサマもやった。
そして、大勢の人間を──殺した。
俺は、俺はこんなことばかりやってきたのか。
どうして真っ当に生きられなかった。どうしてここまで歪んでしまった。
──畜生。
なんで今更、いまさら、こんな。
死んでから後悔したって、何にもなりゃしねェじゃねェか!
──────
花。
あれは──
最期に見た花壇の──いや。
──教会の──
あ。
ああ。
あった、あったよ、おい!
はっ、はは、は……。
──もう、三、四年くらい前になるかな。
ヴィルノアの北の方にある……山奥の村に行ったんだ。
何しにって? もちろん仕事だよ。
あの辺りは、ヴィルノアでも特に貧しい地域でな。土は痩せててろくな作物が育たねェ。昔から山の木を伐って細々と暮らしていたらしいが、それもあらかた伐り尽くしちまった。売るものがなくなっちまえば、後は……わかるだろ?
ああ、そうだよ。
俺は、身売りされた子供を引き取りに行ったんだ。
……そんな顔すんなよ。悪いことってのはわかってるって。
それに、俺はただの雇われだ。奴隷商人の護衛と見張り役だよ。
行ってみたら、本当に寒々しい村だったな。
どの家もボロボロで、今にも崩れそうだった。人気もないから廃墟なのかと思ったくらいだ。
けど、よく見たら、壁の破れ目から目玉がこっちを見ていてよ。家の中で息を潜めて俺たちを覗いていたんだな。
まるで死神でも見るような視線だったよ。正直言って気分は悪かった。
けど、無理もねェかと思い直したよ。こっちは村の子供を買いに来たんだ。歓迎されるはずがねェ。とは言え追い返すワケにもいかないから──連中は黙って見守るしかねェんだな。
みんな、わかっていたんだ。この村が生き残るには、それしか方法がねェってことを。
既に話はついていたみたいで、家の前に行くと母親が出てきて娘を引き渡した。母親はこちらを向きもしねェでよ、黙って金子
を受け取ったら、さっさと家の中に引っ込んじまった。別れの涙も後ろめたさもあったもんじゃねェ。
こんなものか、と思ったよ。
結局、自分以外はみんな他人だ。実の子供だろうと他人なんだ。家族の絆だの愛情だのっていう綺麗事も、生への執着の前には無力なんだ。
俺もそのことは身に沁みていた。だからその母親をとやかく言えねェ。むしろ──同情していたかな。
で、娘の方はというと、これが拍子抜けするくらい大人しく俺たちについて来やがる。
後から聞いた話じゃ、知り合いのおじさんが来るからお手伝いしてきなさい、と言いつけられていたらしいな。いかにも怪しい話だが、まぁガキだからそのまま信じたんだろう。
ああ。聞いたところじゃ九歳くらいらしいが、もっと幼く見えたよ。ろくなもの食ってねェからあんまり成長できなかったんだろうな。
身体も痩せ細っていてよ。でも──よく笑っていたな。
これから売りに出されるってのによ。
荷馬車に乗せても、お馬さんだ馬車だと燥いでやがる。鉄格子つきの箱に入れられてるってのに、不審に思いもしねェ。
いくらガキだって言ってもよ、ここまで来れば馬鹿だ。脳天気ってやつだな。
まぁ、おかげで運ぶ方は楽だったが──その代わり、相手が面倒だったな。
村を出て、山を下りる間も、しきりに俺に話しかけてきやがる。
馬車のしんがりを務めていたから、話しかけやすかったんだろうけどよ。おじさん誰?とか、どこ行くの?とか、しきりに聞かれて鬱陶しいったらありゃしねェ。
本当のことは言えねェから、適当に答えておいたけどな。そしたら今度は自分のことを話し始めた。名前と──興味ねェから忘れちまったけど──家族のこと。特に兄貴の話をしていたっけな。
優しい兄貴だったらしいぜ。一緒に遊んでくれて、楽しかったって。
俺は──聞いているうちに、わからなくなってきたな。
檻の向こうの娘は、腕も脚も骨の形が見えるくらいガリガリで、髪も伸び放題のボサボサで、見るからに惨めな姿だったけどよ。
それでも、屈託なく笑ってやがるんだ。
檻の中で、幸せそうに──。
幸せなんてものはよ、結局は自分次第なのかもしれねェな。
自分が幸せだと思えるかどうか──ただ、それだけのことなんだ。
俺自身も酷ェ境遇だったけどよ。それでも、どこかで幸せだと思うことができたなら──。
まぁ、もう遅ェか。
もっと早く、そのことに気づいていれば……な。
え? 話の続き?
なんだよ、少しくらい感傷に浸っていてもいいじゃねェか。けッ。
ええと……どこまで話したっけ。
ああ。娘を荷馬車に乗せて、山を下りてな。ヴィルノアの奴隷市場が目的地だったんだが。
道中で雇い主の商人と揉めたんだ。報酬のことでな。
あの守銭奴、最初に聞いていた金額から減額するって言いやがる。野盗の襲撃がなかったからお前は仕事をしていない、だから報酬もそのぶん差し引くっていう言い分だったんだが。
ふざけんじゃねェぜ。俺はちゃんと護衛はやっていたんだ。野盗の都合で減らされるなんて、そんな馬鹿な話があるかよ。
どっちも譲らなくってな。日ごとに険悪になっていった。
それでも荷物の娘だけは、相変わらず楽しそうでな。本当におめでたいガキだぜ。
けど、その娘を見ていて──思いついたんだ。
村を出てから四日目か、五日目くらいだったかな。
出発前に商人に掛け合ったんだ。俺の方が折れるフリをして、その代わり報酬を今すぐ払うように要求した。商人は訝しんだが、まぁ損はない話だから、その要求を呑んで金を払った。
貰った金額は、最初に聞いた額のちょうど半分だった。
そして、村からヴィルノアまでの行程も──ちょうど半分を消化していた。
ああ。そういうことだよ。
半分しか貰えないのなら、この仕事も半分で終わりだ。報酬も受け取ったし、もうこの野郎の護衛をする必要はねェってことだな。
理屈としては合ってるだろ? 我ながら名案だと思ったよ。へへっ。
で、このまま立ち去ってもよかったんだが、どうにも癪
でな。この銭ゲバ野郎に一泡吹かせてやりたかった。
そこで、だ。
休憩のときに、奴の飲み物に腹下しの薬を入れてやったんだ。
いや、そうじゃねェよ。ここからが本番でな。
少しして、商人の具合が悪くなった。もちろん薬のせいで腹を壊したんだな。
馬を止めて、待っていろと言い置いて奴が叢
に駆け込んだ。その隙に、俺は──。
娘を、馬車から下ろした。檻の鍵は俺が持っていたんだ。
そして、仕上げだ。
娘を馬車から離れたところに立たせてから、俺は鞘に入ったままの短剣を腰から外し、後ろから馬に近づいた。
そして──馬の尻を、鞘で思いきりひっぱたいた。
驚いた馬が嘶
いて駆け出す。俺と娘は示し合わせて、商人が来る前に反対側の草陰に飛び込んで隠れた。
騒ぎに気づいて戻ってきた商人の顔といったら、なかったぜ。泡を食ったような、っていうのは、まさにああいう顔なんだろうな。
しかも用を足していた最中だから、下半身丸出しでよ。傑作だったぜ。暴走している馬車を見つけて、女みたいに悲鳴を上げて。馬の背には奴の荷物も括りつけられていたしな。
何か喚き散らしながら、商人はケツ丸出しのまんま馬を追いかけていった。
叢の中で、腹ァ抱えて笑ったよ。娘もよくわかってなさそうだけど、一緒になってげらげら大笑いしてよ。
涙出るくらい笑い転げるなんて、本当に久し振りだった。いや──もしかしたら、あれが初めてだったかもしれねェ。
ああ。そうだな。
楽しかったよ、あのときは。
幸せってのは、ああいうことだったのかもしれねェな──。
それから俺は、売り物だったはずの娘を連れてアルトリアに向かった。
近いのはヴィルノアだったが、あの商人と鉢合わせする可能性があったからな。それに元々、この仕事が終わったらアルトリアに行くつもりだった。
馴染みの情報屋から面白い話を聞いてな、稼げそうな匂いがしていたんだ。
……え? ロンベルト?
な、なんで知ってんだよ。怖ェなぁ。全部お見通しかよ。
そうだよ。ヴィルノアがアルトリアの王室にスパイを送り込んだって話だ。そのスパイ──ロンベルトに取り入れば一儲けできそうだと踏んだんだ。実際かなり稼げたんだが、最後にミソがついちまって、ヴィルノアに逃げ帰るハメに……。
……まぁいいか、その話は。
それで、アルトリアに行くのはいいが、問題は娘をどうするかってことだ。
ああ、そうだよ。今回は売らなかった。というか、こんな痩せっぽちのガキなんざ娼館じゃ引き取ってくれねェや。俺は商人じゃねェから奴隷市場に回すこともできねェ。
は? 情が移った?
まぁ、ここまでの旅ですっかり俺に懐いていたけどよ。別にそういうワケじゃ……。
………………。
そっ、それでよ。思い出したんだ。
アルトリアの麓の、カミールっていう村に教会があったのを思い出した。教会なら身寄りのないガキも引き取ってくれるかもしれねェだろ。
大した寄り道でもないからな、村に立ち寄ってみたよ。すっかり日が暮れて、青い月が出てたっけな。
教会の前に娘を待たせておいて、門扉を叩いた。それから俺だけ建物の裏手に身を隠した。
なんで隠れたのかって? いや、だって説明が面倒臭ェじゃねェか。教会とか俺の性に合わねェしよ。
それに、俺みたいなならず者が一緒じゃ、いかにも怪しいじゃねェか。変に勘繰られて断られるかもしれねェだろ。ガキが一人で来たと思わせた方がいいと思ったんだよ。
陰からそっと覗くと、娘は俺が消えたことには気づいていなかった。花壇に珍しい花が咲いていたから、それに気を取られていたんだな。
白い大きな花でよ、月の光に照らされて青白く輝いていて。
──そう。
あの婆ァが育てていた花と同じだった。
だから、思い出せたんだ──。
扉が開いた。
男は陰から静かに見守る。
神父らしき老人が花壇の娘を見つけて、声をかけ──。
手を引いて、教会の中へと連れて行った。
音を立てて、扉が閉まる。
それを見届けてから、男は懐から煙草を出して火を点ける。
教会の壁に凭
れたまま、月を見上げて──煙を吐いた。
この壁の向こうで、今頃あの娘は。
穏やかに眠っているのだろうか──。
これでいい。
あのガキに、不幸は似合わねェ。
精々幸せに暮らして、真っ直ぐ生きて。
俺みたいな屑になるんじゃねェぞ──。
燻らせた煙は、青い月に向かって昇っていって──。
夜空に滲んで、かき消えた。
────────
はぁ。
なんか阿呆らしくなってきたぜ。
もういいよ。疲れた。
どうせこの話もダメなんだろ? その顔を見りゃわかるって。
──わかったよ。もう諦めた。煮るなり焼くなり好きにしろ。
屑がどんだけ取り繕ったって、結局は屑なんだよ。
──え? 最後に質問だって?
しつこいなぁ。もういいって言ってんだろ。
……はぁ?
その娘に会いたいか?
ど、どういう意味だよそりゃ。なに言わせようってんだ。
………………。
まぁ、そうだな。
もう一度、腹抱えて笑い転げたいとは思うよ。あのガキと二人でな。
あのときは気づかなかったけどよ。
たぶん、あれが俺の人生で唯一、幸せな瞬間
だったと思うから──。
──畜生。
なんで俺……泣いてんだよ。
五月蠅ェな。俺だってわかんねェんだよ。生きてる間には後悔なんざ微塵もしなかったってのに、あんたのせいで……。
………………。
なあ。
あんた……本当に死神か?
いや、よく見たら、やたらキラキラした格好してるからよ。その羽根飾りといい、甲冑といい……。
──まさか。
マジで、あんた……そうなのか?
そうなんだろ。
俺は、あんたに……選ばれたのか?
ま、待て。いや、待ってくださいよ!
ついて行きます。喜んでお供しますって!
もう悪さはしねェ。性根も入れ替える。だから、俺を。
神界
へ連れて行ってくれ──。