小説 WILD ARMS 2
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序章
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第一章
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第二章
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第三章
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第四章
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第五章
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第六章
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第七章
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第八章
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終章
アルテイシアは、いつものように兄の部屋へと続く廊下を歩いていた。
時刻は正午をいくらか回ったところ。食事の支度を整えてから兄を呼びに行く途中であった。家には住み込みのシェフもいるが、昼の食事だけはできる限り自分で作るようにしている。
背中に下ろした髪を揺らし、衣擦れの音を立てながら、赤絨毯の廊下を静々と進みゆく。いつもと同じ時間。いつもと変わらぬ行動。そのことに微かな虚しさも覚えつつ──彼女は碧い瞳を細めた。
兄の役に立ちたいと始めた料理。それ自体は楽しいし、兄も喜んでくれている。だが一方で、その程度のことしかできない自分が歯痒くもあった。
──そう。何もできない。
わたしは今まで何も成したことがない。
彼女はずっと、無力感を抱えながら生きてきた。
幼少から身体が弱く、たびたび高熱を出して寝込んだ。長じてからは床に伏せることは少なくなったが、それでも生来の虚弱は治らず、館の中で籠もりきりの生活が続いた。力もなく、かと言って知的に秀でた才があるわけでもなく、おまけに社交性も持ち合わせていない。貴族の子女として通り一遍の知識は身につけたものの、それを活かすような機会は遂に訪れなかった。この世に生を受けてから二十年余り、彼女はその生のほとんどをこの館で過ごし、鬱々
とした日々を送ってきた。
それが贅沢な悩みであることは理解していた。この世界には食べることさえ困っている者たちがごまんといる。彼らに比べれば、飢える心配もなく暮らしていける自分は恵まれた立場なのだろう。
それでも。いや、だからこそ。
どうして自分などが生きているのだろう。そうした思いが、常に彼女を苛んだ。
生きることの意味。自分という存在の価値。誰しもが抱く、そうした疑問を──いつかは抜け出さなくてはならないはずの懊悩を──彼女は未だ心中に抱き続けていた。多くの者は答えを見出す。たとえ答えが出なくとも、現実に引きずられるうちに自ずと疑問は薄れ、いつしか悩んだことすら忘れるものだろう。しかし、彼女にはそのどちらも訪れることはなかった。
何も持たぬ者だから、答えが出せない。
恵まれた立場だから、現実に引きずられることもない。
そうしていつまでも、答えの出ない疑問を腹の底に溜めている。
人が羨むような生活を送りながらも、彼女の心は常に満たされず、何かに飢えていた。
けれども、そんな彼女に──少しだけ変化が訪れた。
転機は皮肉にも身内の不幸だった。兄が聖剣に拒絶され、その反動によって深手を負ったのだ。左腕は重度の火傷、右脚も骨が砕かれて、杖なしでは歩くことすら儘ならなくなった。
力を持たない自分と違って、兄はあらゆる才知に恵まれていた。剣も魔法も自在に操り、弁も立ち、知略にも長けた。ヴァレリアという特別な血筋を引いていることもあり、他の諸侯の間では英雄の再来と騒がれたことすらあった。
そして、彼自身も英雄となることを望み、強く欲していた。その理由を彼女は知らない。ヴァレリアの血がそうさせたのか、それとも他に理由があったのか──。
傍目には病的に思えるほど、彼は英雄という存在に執着し、英雄にならんがために激しい研鑽を積んだ。気力体力ともに充実し、確信にも近い思いを抱いて聖剣アガートラームの前に立ったのが、二年前のこと。だが、その思いは──自らの身体もろとも打ち砕かれた。
その後の彼の有様は酷いものだった。傷ついた身体を投げ出してベッドに横たわり、日がな一日虚ろな瞳で天井を眺める兄の姿を、彼女は今でも憶えている。このまま永遠に動かなくなるのではないかと心配したほどだった。
彼女にとって兄は完璧な存在であり、羨望の対象だった。何も持たない自分に対して、彼は全てを持っていた。双子なのにこうも違うものか、その才能のひとかけらでも自分にあればと、悔しく思うことすらあった。
その兄が、今は傷つき、打ち拉がれてベッドに伏している。初めて目の当たりにした「完璧でない兄」の姿に彼女は衝撃を受け、そして、少し──安堵した。
そこに、ようやく自分の居場所を見出したのだ。
彼女は兄を忠実しく看病した。不慣れながらも包帯を取り替え、杖となって付き添い、労りの言葉をかけた。実際に役に立ったのかは怪しいところだが、とにかく兄の支えになろうと奮闘した。料理を始めたのもこの頃からだった。
その甲斐あって、一年ほどで兄は立ち直った。右脚は依然として動かず、左手も剣を握ることはできない(彼は左利きだった)。それでも彼は再び活動を始めた。自ら前線に立つことを潔く諦め、指揮官としての道を見出して、歩み始めたのだ。
新たな道を進む兄を彼女は嬉しく思った。だが、同時に──満たされぬ思いもまた、沸々と沸き上がってきた。
これからも兄とともに歩みたい。兄の助けになりたい。けれど自分は相変わらず何もできない。何も持っていない。この一年で覚えたことは料理くらいのものだったが、それも所詮は素人芸だ。
結局自分は、何ひとつ成すことができない。
──聖女の末裔だというのに。
英雄の血を引いているというのに──。
「……兄様」
兄の自室の前に立ち、かき乱れた心を鎮めるように深呼吸してから、ドアを軽くノックした。
「兄様、お食事の準備が整いました」
返事がない。いつもならすぐに応答があるのに。
幾度か扉を叩き、それでも応えがないので、ドアノブに手を伸ばしてそっと開けた。
隙間から頭だけ出して覗き込む。正面の書き物机に兄の姿はなかった。書棚の前にも、手前の飾り棚のところにもいない。
「兄様……?」
不在なのだろうか。この時間はいつも自室にいるはずなのだが。
中に入って部屋を見回す。机上には何かの書類や本が散乱している。仕事の途中のようにも見えるが、肝心の主の姿はない。
どうしたものか、と机の前で考えあぐねていると、不意に机に置かれた二枚の封書が目についた。一葉の紙を折り畳んだだけの簡素なもので、封蝋は剥がされてある。そのうち一枚の蝋はハート型に捺されてあって、それが彼女の目に留まったのだ。
まるでラブレターのようだが……隅に記された差出人の名は、マリアベル・アーミティッジ。確か兄と頻繁に手紙でやり取りしているノーブルレッド族だ。長命な種族で知識も豊富だから度々助言を求めているのだと、兄は説明していた。
もう一枚は、やけに繊維の粗い、くすんだ色をした紙の封書だった。封蝋もさして特徴のない丸形なので、ノーブルレッドの彼女からではないだろう。隅には乱雑に「V・G」とだけ記されてある。
その封書が妙に気にかかり、手を伸ばしたとき。
「アルテイシア……か」
声がした。自室と続きになっている寝室の方か。しばらく待っていると、奥の暗がりから兄が姿を現した。
「お休みになっていたのですか」
「いささか気分が優れなくてね。一睡したからもう大丈夫だ」
確かに普段よりも顔色が悪い気がした。ぎこちなく松葉杖を突いて、妹の前まで来る。
「お食事は……どうなさいますか?」
「ああ、もう昼なのか。折角君が作ってくれたんだ。頂くよ」
無理に召し上がらなくても、と言おうとしたが、既に兄は部屋のドアに向かって歩き出していた。アルテイシアは無言で隣に寄り添い、肩を貸した。
「すまないね」
兄の重みと温もりを感じながら廊下を歩いていると、不意に彼が呟いた。
「何が……ですか?」
首を傾けて、青白い横顔を覗く。兄は微笑を浮かべていた。
人前では決して見せない、柔和な表情。自分だけが知っている──兄の貌。
「『あの日』以来、私は君に支えてもらってばかりだ」
その言葉に、頬が火照るのを感じた。嬉しさからか、照れくさいのか、それとも……。
「違いますわ」
それを誤魔化すように、彼女は少し強い口調で返した。
「わたくしが、支えたいのです。これは全て、わたくしの我儘なのです」
兄は瞑目して、そうか、と言った。
「それなら、もう暫くは君の我儘に甘えさせてもらうかな」
ええ、とアルテイシアも瞳を細めて笑った。
英雄に届かなかった兄。英雄には程遠い妹。
それでも、ふたりで支え合えば、あるいは──。
──ああ、そうか。
そこで、ようやく、初めて気がついた。
わたしも──兄と同じだった。
わたしも英雄になりたいのだ。
決して叶わぬ徒夢と、わかっているはずなのに──。
これも、ヴァレリアの血の宿命か。
それとも。
──呪い、なのかもしれない。
「ひええええッ」
アシュレーの背後で、リルカが情けない悲鳴を上げた。下を見てしまったらしい。
「高いところ、ダメなのか?」
「ダメってわけじゃないけど……でも、この高さは、あうぅ……」
へっぴり腰で左側の壁にしがみつきながら、リルカは足許に釘付けになっている。
「あまり見ない方がいいぞ。ほら、顔上げて」
「う、うん……。わあ、いいてんきだなー。おやまがたかいなー」
右手に広がる遠景に目を向けて空元気に声を出したものの、上擦っている。アシュレーは肩を竦め、それから彼女に手を差し伸べた。
「へ?」
「手を繋いでいれば、少しは恐くないだろ」
「そ、そう……だね。それじゃ、よろしく……」
リルカは躊躇しつつも、手を出して握り返す。そうしてようやく一行は進み始めた。
彼らがいるのは、ダムツェンの南方に聳えるテレパスタワーの頂上付近。方錐形の細長い石塔を鉄骨で囲んで支えているこの電波塔は、ファルガイアの全ての通信の中継地点になっているという。
ダムツェンにいる塔の管理人に調査の許可を取ってから、彼らは塔へと向かった。入口の鍵も借りておいのだが、それは結局使われることはなかった。
石塔の入口の鉄扉は、最初から大きく開け放たれていた。錠前も壊され、引き千切られた鎖が地面に無雑作に落ちていた。
確かに、何者かが侵入したらしい。
彼らも塔内に入り、下の階から順番に検めた。何が目的なのか。何をしようとしたのか。手分けして念入りに調べたものの、どの部屋にも侵入の痕跡は確認できなかった。
だが、最上階まで来たところで──ようやくそれを発見した。
最上階には外へと出られる扉があり、その扉が解錠されたままになっていたのだ。誰かが内側から錠を解いて、そのままになっている。
扉を開けると、塔の外壁に沿って鉄骨で組まれた階段が螺旋状に続いていた。どうやら最上階のさらに上に、隔離された部屋があるようだ。察するに中枢設備が置かれた──制御室か。テロリストの狙いもそこに違いない。
そうして彼らも制御室に向かおうと、吹き曝しの階段を上っていたところだった。アシュレーが先に立ち、リルカがその手にしがみつきながら続き、しんがりをブラッドが黙々と進んだ。
ちょうど塔の外壁を一周したところで、扉に辿り着いた。錠前は塔の入口と同じように壊されていた。軋む鉄の扉を開け放ち、足を踏み入れる。
制御室と思しき部屋は、不可思議な光で満ちていた。光源は中央の台座の上で浮遊する──巨大な菱形の石。円筒の硝子で覆われ、緩々と回転しながら碧色の光を放っている。
「キレイだね~。これがテレパスタワーの感応石かな」
リルカが台座の前で見上げながら言う。
「感応石? それって……この通信機にも使われている?」
荷袋から出した機械を示してアシュレーが聞くと、リルカは振り向いて小首を傾げる。
「アシュレーって、意外とモノ知らないよね」
「いや、そっちの方面にはどうも疎くて……」
どっちの方面よ、と年下の少女に苦笑いされて、アシュレーは頭の後ろを掻く。
「感応石ってのは、特定の電波を出したり受け取ったりできる石のことで」
リルカが説明する。少し得意気に見えるのは気のせいか。
「ヒトが考えていること……『念』をその電波に乗せてやり取りするのが、いま使っている通信の仕組みなわけ。だから通信には必ず感応石が必要なんだ」
「『念』をやり取りするって……それじゃあ、別に声に出さなくても伝わるんじゃないのか?」
「うーん、まぁ基本的にはそうなんだけど……えっと、想念の固定化には言語が不可欠であって、実際に言語を発することによって想念が明瞭になるとか……まぁ、そういうこと!」
後半は彼女らしからぬ言い回しだったので、教科書か何かの一文をそのまま引用しただけだと思われる。つまり、おそらくは、自分でもよくわかっていない。
「とにかく、通信には感応石がぜったい必要で、その感応石にもいろいろ種類があるんだ。送信しかできないやつ、送信も受信もできるやつ、それから、受信した電波を増幅してから送信できるやつ……」
「通信機に入ってるのは『送信も受信もできる感応石』ってことか」
アシュレーが言うと、そうそう、とリルカは満足そうに頷く。
「そんで、ここにあるでっかい感応石は、電波をとんでもなく増幅して世界じゅうに発信できる特注品なんだ。だからテレパスタワーはぜんぶの通信の中継地点になっているわけ」
ファルガイアの全ての通信がここに集約され、増幅されて、ファルガイア全域に発信される。そうした役割をこの塔は担っている、ということか。
なるほどな、と言いかけたところで、台座の前で屈んでいたブラッドがいきなり立ち上がり。
「違うな」
「え?」
重い声で否定されて、リルカはにわかに焦り出す。
「い、今の説明、どこか間違ってた?」
「説明は合っている。だが──」
ブラッドは菱形の石を仰ぎつつ、言った。
「これはテレパスタワーの感応石ではない」
「どういう……ことだ?」
アシュレーが尋ねると、ブラッドは首を動かし、彼の背後──部屋の隅に視線を向ける。
「テレパスタワーの感応石は、あれだ」
「あ……ああ」
中央の石ばかり目立っていたので気づかなかったが、部屋の四隅にも小ぶりな石が台座に収まっていた。こちらは水色の光を控えめに放っている。
「じゃあ、この大きいやつは」
「感応石には違いないが……増幅器ではないな。台座の具合から見て、設置されたのはつい最近──昨日か」
「昨日って……て、テロリストが置いてったの!?」
驚いたリルカがじりじりと後退る。
「ま、まさかいきなりドカンと大爆発なんてコトは……ないよね。ね?」
「破壊が目的なら、昨日のうちにさっさと爆破させるだろう」
ブラッドの言葉にリルカはひとまず胸を撫で下ろす。それでも再び近づこうとはしなかったが。
「それじゃあ、いったい」
何が目的なのだろうか。
石を眺めながら頭を巡らせたが、十九歳の新米隊員にテロリストの意図など想像つくはずもなかった。そもそも、この装置の仕組みすらろくに理解できていないのだ。
やはり、ここは。
「ブラッド……」
「……ああ」
彼の経験と知識。それだけが──情けないが──頼みの綱だ。
ブラッドは腕を組み、ひとしきり考えてから徐に口を開いた。
「ここの設備を利用して何かを企んでいるのは間違いないだろう。だが、この感応石は……一般の電波には反応せずスルーしている。データを送信するだけの装置なのか、あるいは特殊な電波を……」
そこまで言ったところで、固まった。
「どうしたの?」
「……まさか」
二人が見守る中で、彼は呟いた。
「映像、か」
「え──?」
そこで、装置が動き出した。
唸るような機械音と小刻みな振動。それと同時に台座から光の粒のようなものが大量に放出され、碧色の石に吸い込まれる。
そして突然、石が──物凄い速さで回転を始めた。
「な、なに!? どうなったの?」
リルカが壁にへばりつきながら取り乱した。アシュレーも一歩後退する。
「電波の受信が始まった……ようだ」
ブラッドは至近距離で装置を凝視している。彼はどこまで状況を理解しているのだろうか。
「電波って、どこから?」
答えはなかった。代わりに装置の中から微かな声が聞こえた。
〈……様、送信テス……です。いつでも……ます〉
若い男の声のようだったが、ノイズ混じりで内容はわからない。もっと聞き取ろうとアシュレーが装置に歩み寄ったとき。
目の前に──半透明の男が現れた。
「うわッ!」
面食らったアシュレーは尻餅をついた。床に座り込んだまま改めて見ると、男の姿に立体感はなく、感応石を囲む円筒に張りついていた。
硝子に──投影されている?
「ヴィンス……ッ!」
同じようにそれを見ていたブラッドが血相を変えた。そしてリルカに向かって叫ぶ。
「鏡を貸せ!」
「な、なに?」
きょとんとする少女の方に歩み寄り、今度は声を押し殺して言う。
「鏡を持っていただろう。出してくれ」
「え、は、はいッ」
リルカは慌ててポーチを開けて、手鏡を取り出したが。
「な……なによ、コレ!?」
鏡面を自分の方に向けたところで、いきなり声を上げた。
「どうした?」
アシュレーも駆け寄る。リルカは鏡を見つめたまま、ぽかんと口を開けている。
「わたしの鏡に、へ、ヘンなオッサンが」
彼女の頭越しに鏡を覗くと、そこには。
硝子の筒に映っている男が──全く同じ姿で佇んでいた。
「これ、は……」
像は同じだが、透明な硝子よりも鮮明に投影されていた。豪奢な軍服を纏い、鼠色の長髪を靡かせた壮年の男が、鏡の中からこちらを鋭く見据えている。手前には演台のようなものがあり、背後の壁には何かの徴が記された旗が掲げてあった。
「硝子、鏡、水面……反射する光沢面全てが受信対象だ」
ブラッドが言う。表情は変わらないが、口の端が僅かに歪んでいた。歯を食い縛っている。
「受信、ということは……もしかして」
アシュレーは今も激しく作動している装置を振り返る。ようやく事態が呑み込めてきた。
「こいつは映像電波を送受信する装置だ。未だ研究段階で実用化はされていないと聞いていたが……。こいつをテレパスタワーの感応石に直結することによって、映像を全世界に配信する──それが連中の目的だった」
「映像を配信って……テロリストが、なんでそんなこと……」
リルカが聞くと、ブラッドは顔を背ける。
そして、いつにも増して重々しい声で、言った。
「決起表明だ」
男は徐に語り始める。
「無能な為政者──並びに、怠惰な日常を貪るばかりの蒙昧たる愚民どもに告ぐ」
振り乱した銀髪。痩けた頬と鉤鼻。そして獲物を狙う猛禽のごとき双眸。
「我は革新的原理集団『オデッサ』が首魁、ヴィンスフェルト・ラダマンテュスである。まずはその名を確と胸に刻んでおくがよい」
声はやや嗄れていたが、それでいて張りもあり、小声でもよく透った。
「ここ数年に発生した、諸君らがテロと称する数々の工作は、我らオデッサの手によるものである。我らの行いを誹る者も少なくなかろう。だが、それらは総て、新たな世界の礎を築く為に必要な犠牲であった」
白いマントの内側から右腕を出し、演台の上に拳を置く。
「我らオデッサの目的は唯一つ。腐敗しきった旧き秩序を葬り去り、その骸の上に確固たる統一国家を創ること。必要な変化を妨げる旧弊を廃し、地位に胡座をかく権力者どもを追い出した後、この時代に即した秩序を築き上げる。この変革は必然である。天命を受けて私は実行しているに過ぎない」
拳を振り上げ、演台を叩く。そして口調を荒げた。
「大地を見よ。奇怪な魔物どもが跋扈しているではないか。じきにファルガイアは異形のモノに埋め尽くされるであろう。だのに為政者どもは何もせぬ。原因は明白だ。国家間の利害の対立、永く続いた秩序がもたらす危機感の欠如。人々を導く筈
の為政者がこの為体では、魔物に蹂躙されるのは時間の問題であろう」
拳を降ろし、演台を離れる。
「故に我らは──決意した」
演台の横で再び正面を向き、こちらを見据える。
「能無しの国王どもに成り代わり、このヴィンスフェルトが世界を導く。魔物の脅威を祓い、確固たる秩序と平穏を人々の手に取り戻す。その為ならば、喜んでこの身を捧げよう」
滔々と語りながら、腰の剣をすらりと抜き放つ。そして勢いをつけて足許に突き立てた。刃は歪な鋸のような形状をしていた。
「良識ある民草よ、オデッサの名の許に集え。今こそ決起の時である。真の平和を自らの手で掴み取るのだ。役立たずの為政者どもを糾弾せよ。排除せよ。我らは諸君らの味方である」
左の拳を胸の前に掲げ、何かを捻り潰すように力を込めた。それから挑むように睨みをきかせる。
「今、ここに宣告する」
拳を下ろし、剣を地面から抜く。そして。
「オデッサは三大国家──メリアブール、シルヴァラント、ギルドグラードを標的と定めた。我らを侮ることなかれ。既にオデッサは国家に比肩する力を有している」
刃の切っ先をこちらに突きつけ──。
「首を洗って待っているがいい。国王どもよ」
不敵に、嗤った。
「ヴィンスフェルトおぉッ!!」
突然、ブラッドが怒声を上げた。
肝を潰したアシュレーが振り向くと、彼は装置の正面に立っていた。硝子の筒に映る銀髪の男を猛獣の眼で睨んでいる。
そしていきなり、その顔めがけて拳を繰り出した。甲高い音を立てて硝子が粉砕されたが、それでも内部の感応石は変わらず作動を続けている。
唖然とするアシュレーたちが見守る前で、ブラッドはなおも数歩背後に下がると、背負っていた大型ARMを取った。
「お、おいブラッド……!」
制止しようとしたが、遅かった。彼はARMを肩に担ぎ、そのまま碧色の石めがけて砲弾を放った。弾が命中した石は衝撃音と共に吹き飛び、破片を撒き散らしながら後方の壁を突き破って落下した。
感応石を失った装置は、火薬の煙と埃が立ちこめる中で完全に沈黙した。
「あ、オッサンが消えた……」
リルカが手鏡を見て呟く。鏡面にはいつも通り彼女の姿が映っていた。やはりあの装置が映像を配信していたようだ。
──それにしても。
「どうしたんだ、ブラッド。いきなりARMなんて撃って……塔が崩れたらどうするつもりだったんだ」
らしくない行動をアシュレーが咎めたが、彼は応じない。ARMを肩から下ろし、項垂れたまま硝子の散らばる地面を睨みつけている。
「あの、糞野郎……」
鼻梁に皺を作って、悪態を吐いた。それを見てアシュレーは察する。
──何か因縁があるのか。
果たして聞いていいものか迷っているうちに、リルカが割って入ってきた。
「あーあ。ケガしてるじゃない。まったくもう」
怒りの形相を平然と覗き込んで言う。確かに顔の横側──顎の輪郭に沿って赤い筋が流れていた。硝子の破片で頭のどこかを切ったのだろう。
あくまでもマイペースな少女は手鏡をポーチに仕舞い、代わりにカードらしきものを取り出した。確か魔術の紋章が描かれている……クレストグラフという呪符だ。
「裡に眠りし癒しの力よ、我が命により覚醒せよ」
口許に翳して呪文を唱えると、呪符が仄かに光を帯び始めた。そして持っていたパラソルの柄の部分に呪符を接触させる。光はパラソルへと転移した。
リルカは間合いを取ってから、ブラッドにパラソルを向けた。傘の先端から放たれた光の粒が逞しい胸板に触れると広がって、全身を包み込んだ。光はすぐに消え、彼にも変化はなかったが、流れていた血は止まったようだ。
治癒の──魔法か。使えるということは本人から聞いていたが、実際に見るのは初めてだった。
「……すまん」
「どういたしまして」
屈託ない笑顔に、ブラッドが小声で礼を言う。険しい表情はいくらか緩んでいた。
なるほど。こういうときは──リルカのような存在は貴重なのだろう。アーヴィングが彼女を入れたのは、戦力だけが理由ではなかったのかもしれない。
「わッ」
感心していたアシュレーの手の中で、いきなり通信機が鳴り出した。
「ほら呼んでるよー。早く出ないと」
「あ、ああ」
けたたましい呼び出し音に焦りつつ、スイッチを入れる。
〈アーヴィングだ。そちらはまだテレパスタワーか?〉
「ああ、そうだけど……その、さっきの」
〈映像なら私も見た。これが目的だった、ということだな〉
さすがに察しがいい。説明の必要はなさそうなので、アシュレーは次の指示を仰いだ。
〈タワーの後処理は管理者の方に頼んでおく。君たちは引き続きテロリストを……『オデッサ』の足取りを追ってほしい〉
「けど、追えと言われても、一体どこに行ったのか……」
「ちょっと、なにアレ!?」
突然リルカが叫んだ。
通信機を耳に当てたまま視線を遣ると、彼女は穴の空いた壁の方を向いている。アシュレーも同じように穴の向こうを刮目した。
大型ARMによって破れた壁からは青空が臨めたが──その中に。
何かが、浮かんでいる。大きな鳥のような──?
〈どうした?〉
スピーカー越しにアーヴィングが尋ねる。
「何かが……空に」
アシュレーは譫言のように返す。
上空のそれは、確実にこちらに近づいてきていた。翼を広げた鳥に似た形状だが、その躯は金属のようだ。轟音を立てながら滑空する──鋼の鳥。
「あれは……!」
ブラッドが再び動いた。破れた壁の手前まで駆け寄り、穴から身を乗り出してその影を確認する。
「バルキサスかッ」
「バルキサス?」
アシュレーが聞き返す。ブラッドは答えなかったが、代わりに通信機から応答があった。
〈バルキサスだと? それは、スレイハイム戦役で使われた飛空機械のことか〉
「飛空機械……だって?」
空を飛ぶ──機械。そんなものが。
轟音が塔の上空まで来た。アシュレーは制御室を出て、外壁の階段から振り仰ぐ。
空が一瞬、暗くなった。飛空機械が真上を通過しているのだ。凄まじい駆動音に鉄の足場が震える。
襲撃を予期して身構えたが、巨大な鋼の鳥はそのまま塔の頂上を掠めて反対側へと飛び去っていった。
「どこ行くのかな」
いつの間にかリルカも横に来ていた。アシュレーは無言で遠ざかる飛空機械を眺める。
彼らの視線の先で、バルキサスが速度を緩めた。にわかに降下を始めて──遠方に聳える山の中腹あたりに、着陸した。
「山に……降りたみたいだ」
〈どこの山だ?〉
アーヴィングが尋ねる。
「ここから東の方にある、岩だらけの……この辺じゃ一番大きそうだけど」
アシュレーはこの地域の地理に詳しくない。辿々しい説明だったが、どうにか伝わったようだ。
〈恐らく、ケルテペッキョシルトリンゲロン山だろう〉
「け、ケルペッキョ?」
あまりに長い名前なので聞き取れなかった。
〈通称ポンポコ山と呼ばれる鉱山だ。感応石の産地だったが数年前に閉山して、今では誰も近寄らない〉
「いかにもテロリストが好きそうな場所だよね」
リルカが言う。確かに人気のない廃坑はアジトとして誂え向きだろう。
「ということは、あの飛空機械は」
〈先のテロリスト……『オデッサ』だろうな〉
予想通りの答えだったが、逆にそれが疑念を抱かせた。あまりにもタイミングが良すぎる気がする。
「他のテロリストの可能性は?」
〈なくはないが、低いだろう。先も言ったがバルキサスはスレイハイムの内戦で使われた兵器だ。あんなものを持ち出せるのはヴィンスフェルト以外に考えられない〉
「どういうことだ?」
あの男──ヴィンスフェルトは一体──。
〈『オデッサ』首魁、ヴィンスフェルト・ラダマンテュスは〉
その疑問に、アーヴィングが答えた。
〈五年前のスレイハイム戦役の重大戦犯──解放軍の元リーダーだ〉
アシュレーはブラッドを見る。
──そういうことか。
この二人は、かつて共に戦い、そして──。
〈ARMS諸君に通達する〉
指揮官は通信機越しに命を下した。
〈『オデッサ』のアジトと思しき山に向かい、奴らの動向を探れ。戦闘も充分に想定されるため、各自準備を怠ることのないよう〉
「りょ、了解ッ」
アシュレーは通信を切り、もう一度ブラッドを見た。
五年前の『英雄』は、彫像のように固まったまま、東の山を眺めていた。
「まったく、待ちくたびれたぞ。チンタラ降りてきおってからにッ」
塔を降りると、入口の前に妙な人物が待ち構えていた。
「ええと、な、何ですか?」
「何とは何じゃ。アーヴィングから手助けしろと言いつかったから、わざわざ来てやったと言うのに」
声は女性の声だったが、厚手の着ぐるみらしき被りものをしているため、顔も体型も全くわからない。子供が描いたお化けがそのまま出てきたような姿をしている。
「アーヴィングの、知り合いですか?」
「ペンフレンドじゃ。会ったことはない。というかこれから会いに行くところじゃった。そんなことより」
さっさと話を変えられて、結局その出で立ちの理由は聞けなかった。
「ケルテペッキョシルトリンゲロン山に行くのじゃろう。わらわが送ってやる」
「送るって……?」
怪訝な顔をすると、着ぐるみの女性は横に退いて、背後を示した。
そこには二輪の乗り物らしき機械が停められていた。彼女が乗ってきたのだろうか。
「ここから山までは遠い。ダムツェンに戻り馬車を手配したとしても一時間以上はかかる。それでは間に合わないじゃろう」
「でも、その乗り物じゃ三人乗るのは……」
「一人はわらわの後ろに乗れる。後の二人は、そっちじゃ」
「え?」
彼女に促されて見ると、二輪車の後部には台車が括りつけられていた。四つの車輪の上に板きれを設えただけの、極めて簡素な台車だが。
「急拵えなのだから仕方ないじゃろうが。直接ロープで縛られて引きずられないだけマシと思え」
「は、はぁ……」
気が進まない返事をしたが、彼女は意に介さず、さっさと二輪車に乗り込む。
「早よう乗らんか。手遅れになっても知らぬぞ。ほら、そこの小娘、わらわの後ろじゃッ」
「は、はいッ」
着ぐるみお化けに指名されて、リルカは慌てて背後に跨がる。仕方なくアシュレーとブラッドも台車に乗った。
「適当にしがみついておれ。振り落とされても拾わぬからなッ」
言うが早いか、彼女は二輪車を動かした。急発進にいきなり転落しそうになるが、どうにか台車の角に指をひっかけて堪える。
「は、速い! 速いです!」
「急いでおるのだから速いのは当然じゃッ!」
運転席のお化けは速度を緩める素振りもなく、猛然と車を走らせる。地面から伝わる振動に身体が弾き飛ばされ、巻き上がる土煙をもろに被って激しく噎せた。
「ひええええぇッ!」
前方ではリルカが本日二度目の悲鳴を上げている。着ぐるみにしがみつき、必死に身を固くしているのが辛うじて見えた。
「これ、小娘! 変なところをまさぐるなッ。わらわにそっちの趣味はないッ」
「そ、そんなコト言っても……つかむトコが全然ないから……!」
「口を慎めッ! 汝も似たようなものではないかッ」
何やら不穏な会話が交わされているが、それを気にする余裕もなく、アシュレーたちはひたすら板きれの上で揺れと振動に耐えた。
二十分足らずで目的のケルテ……ポンポコ山の麓に到着した。
「どうじゃッ。見事に間に合ったではないかッ」
二輪車から降りた彼女は山を仰いでふんぞり返っている。視線の先には果たして、停泊している機械の鳥があった。
「ど、どうも……助かりました……」
アシュレーは台車から降りて、蟀谷を押さえながら礼を言う。二十分間延々と揺さぶられた影響か、地面に立ってもまだ揺れているような感覚が残っている。
「う、わわッ」
おかげで足を踏み出した途端に体勢を崩し、道の脇に積んであった瓦礫に尻から突っ込んでしまった。がらがらと石の山が崩れて、腰から下が瓦礫に埋まる。
「アシュレー、大丈夫?」
「ああ、ごめん……ん?」
瓦礫から抜け出そうと身体を起こしたとき、足許に拳ほどの大きさをした石が転がった。半透明の翡翠色をした、綺麗な石だった。
「これも……感応石かな」
石を拾って、まじまじと眺める。オデッサが仕掛けた装置の中にあった碧色の石と、色合いはよく似ていた。
「感応石の原石じゃないかな」
リルカも腰を屈めて、石を見つめる。
「この山、昔は感応石がたくさん採れたらしいよ。でも全部が使えるものにはならないから、ダメそうな石はこうしてそのへんに捨ててたんだろうね」
「そうか」
見ると確かに、煙を閉じ込めたような濁りが中に入っている。これでは感応石としては実用に堪えないのだろう。
けれど──。
「持っていくの?」
石を荷袋に入れようとするアシュレーに、リルカが尋ねる。
「ああ。土産にちょうどいいかなと思って」
「……ふーん」
リルカは不思議そうに首を傾げていたが、不意に回れ右をしてブラッドの方へと駆けていく。
ようやく平衡感覚も戻ってきたので、アシュレーは荷袋を担いで立ち上がった。そして二人のところに向かおうとしたとき──頭上から轟音が起こった。
「バルキサスが動くぞッ」
ブラッドが叫んだ。見上げると、轟音は山の上の飛空機械から出ていた。こちらの動きに気づいて脱出するつもりか。
「くそ、逃げられてたまるかッ」
ブラッドたちは既に坑道の入口へと走っていた。アシュレーもすぐさま後を追う。
「わらわはもう帰るからな。汝らは歩いて帰るがよい」
背後から着ぐるみが緊張感のない声で告げた。
坑道の中には生活の痕跡があった。アジトとして使われていたことは間違いなさそうだったが。
今は──人の姿はない。やはり一足遅かったか。
バルキサスの駆動音は依然として響いている。まだ間に合うかもしれないとアシュレーたちは先へと急ぐ。
坑道の奥に昇降機があったので、それに乗って上層へと移動する。蛇のように曲がりくねった洞窟を進むと、前方に陽の光が射し込んだ。出口だ。
彼らは一気に光の中へと飛び出した。目が慣れるのに時間を要したが、どうやら山の中腹に出たらしい。上空は青空、右手は断崖、そして左側の岩場には。
「これが……バルキサス」
間近で見ると、鳥というより巨大な昆虫のようだった。剣のように鋭く長い角、堅い殻に覆われた胴体、そして突起がついた両翼。鉄骨の四つ足を地面に下ろして、停泊する機体を支えている。
翼の中心にあるプロペラが回転を始めた。いよいよ飛び立つつもりか。
「させるかッ」
ブラッドが再びARMを構えた。
「お、おいブラッド」
「飛行不能にするだけだ」
見ると確かに砲身は片翼のプロペラ部分に向けられている。今度は冷静のようだ。
戦士は腰を落とし、ひといきに引金を引いた。爆発音と共に砲弾が放たれる。弾は真っ直ぐ飛空機械の翼に向かい──。
「なッ──!?」
翼に届く手前で、炸裂した。
「危ねぇ、危ねぇ」
煙と埃の中から、野太い男の声がした。大きな影が飛空機械を庇うようにして──佇立している。
「いきなり押しかけてきて、そんなモンぶっ放すとはな。とんだお客様だ」
横から風が吹き抜け、その姿が露わになる。逆立つ短い黒髪に、無骨な顔立ち。体格はブラッドと同じくらいだろうか。着崩した軍服からは分厚い胸板が見えた。
「あーあ。欠けちまった」
男は持っていた自分の武器を一瞥して、舌打ちした。鉄の棍棒にも見えたが、柄から先は数枚の刃を束ねたような形状をしているようだ。刃の一部が欠損しているのは、ブラッドの放った砲弾を防いだ際のものか。
キャノン砲の一撃を──こんな武器で。
「何者だッ」
アシュレーは銃剣を構える。男は大型ARMほどもある武器を軽々と肩に担ぎ、右眼を剥いて睨みを利かせた。左目は潰れ、瞼には深々と傷痕も刻まれている。
「ったく。何なんだよ手前ェら。下の方でチョロチョロしてんのが見えたから待ってやってたって言うのに」
「待っていた?」
アシュレーが聞き返すと、隻眼の男はニヤリと歯を見せて笑った。
「なんせさっきの演説にゃ、俺たちの紹介がなかったからな。ここらでアピールしとかねぇと」
「相変わらず下らないこと考えてるな、お前は」
「──ッ!」
別のところから声がした。反対側の主翼の上に、いつの間にか複数の人影があった。
「我々はただ、ヴィンスフェルト様の命ずるまま動けばいいんだ。目立つ必要などない」
「へいへい。真面目君はお堅いねぇ」
影は三つ。それぞれに主翼から飛び降り、隻眼の男と合流する。
「お前たち……やはり『オデッサ』なのか」
牽制を続けながら、アシュレーが尋ねる。
「おうよ。俺たちはな──」
「我ら四人はオデッサ特選隊『コキュートス』。ヴィンスフェルト様に従い、その理想を実現させんがために動く、忠実なる僕である」
まだ幼さの残る風貌をした若者が答えた。名乗り損ねた隻眼が不平そうにごちる。
「何だよ。折角の口上を取るんじゃねぇよ」
「お前に任せると、ろくなこと言いそうにないからな」
バレたか、と隻眼はげらげら笑う。
そのやり取りを見て、アシュレーは思い出した。
体格のいい男と細身の若者──。
「交易路の爆破とテレパスタワーへの侵入は、お前たちの仕業か」
確信したアシュレーが言うと、隻眼は何を今さら、という顔をする。
「工作はもっぱら俺たちの仕事だ。ついでに言うとな、剣の大聖堂のアレも、こいつの魔術で仕掛けたことだよ」
男は隣に目配せして言った。その視線に若者はふんと鼻を鳴らして横を向く。
アシュレーは絶句した。
あの聖堂で起きた惨劇。それを──こいつが。
「……ッ、それなら……話は早い」
暴発しそうな感情をどうにか押しやって、アシュレーは告げた。
「殺人及び殺人未遂、そして建造物の破壊と侵入の容疑で、お前たちを拘束するッ」
「はぁ? 拘束ぅ?」
若者の後ろにいた丸眼鏡が突然哄笑した。大型の鳥のような、耳障りな笑い声だ。
「きみ、状況が全然わかってないみたいだねぇ。お・ば・か・さ・ん」
「何を……ッ!」
挑発されたアシュレーは銃口を向けようとした──が。
腕が、動かない。腕だけではない。いつの間にか全身の自由が利かなくなっていた。
「な、なにコレ……!」
すぐ横でリルカが声を上げる。見ると、彼女の腕や身体に細い金属の糸が幾重にも巻きついていた。それでようやく、自分の身体にも同じものが絡みついていることに気づく。
「くッ……いつの間に、こんな」
「拘束されたのは手前ェらの方だったな」
隻眼が余裕の笑みを浮かべ、そして背後に立つ赤髪の女に目を向ける。彼らに巻きついていた糸は全て、その女の手から出ていた。
「下手に動かない方がいいわ。余計に食い込んで……痛みが増す」
両手の指で糸を手繰るような仕種をしながら、淡々と女が言う。確かに動こうと藻掻くほどに締めつけが強くなっている。
機械の駆動音が大きくなった。四人のテロリストの背後で旋風が巻き起こり、砂塵が舞う。
「んじゃ、離陸準備もできたようだし、そろそろ退散するか」
黒髪を撫で回しながら、隻眼の男が言う。細身の若者は既に機械の腹部から下ろされた階段へと向かっている。
「あれ、こいつら始末しないんだ」
つまんないなぁと丸眼鏡がこぼすと、手を出すなよと隻眼が釘を刺す。
「ここで殺しちまったら、折角のアピールが無駄になっちまうじゃねぇか。こいつらには俺たちのことを世間に広めてもらわねぇとな」
ただ──と、男は言いながらブラッドのところに歩み寄る。
「危ねぇから武器だけは潰しておくかな」
同じように身動きが取れないブラッドからARMを奪うと、足許に落とした。そして担いでいた武器を振り上げ、ひといきに振り下ろす。
大剣を束ねたような武器の一撃で、大型ARMは呆気なく粉砕された。鉄の砲身は大きく拉げ、中の部品も弾け飛んで地面に破片が散らばった。もはや修理すら不可能だろう。
「それじゃ、僕はこっちを」
「うッ」
不意打ちのような形で、後ろに回り込んだ丸眼鏡に殴られた。倒れたアシュレーは腹を蹴られ、泥のついた靴裏で顔を踏みにじられる。
「楽しいねぇ、こういうの」
靴の脇から、男がこちらを覗いてきた。ニタニタと笑みを浮かべながら腰の銃を抜き、それをアシュレーの腕の付け根に押しつけて。
銃声。
「ぐあッ!」
「アシュレーッ!」
衝撃の後、遅れて激痛が襲ってきた。無意識に撃たれた肩口に手をやる。動きを封じていた金属の糸はいつの間にか消えていた。
「おいこら、手を出すなって」
「いいだろこれくらい。死にはしないよ」
丸眼鏡は銃を収め、ひらひらと手を振りながら踵を返して飛空機械へと乗り込む。糸を操っていた女の姿は既にない。
「けッ。まぁいい。それじゃ、精々俺たちのことを宣伝してくれよ。俺たちは」
オデッサ特選隊『コキュートス』──。
その名を残して、隻眼の男は去っていった。
「あ、アシュレー、いま魔法を……ッ!」
頭が痺れてきた。ポーチを開けて中を探る少女の姿が遠ざかる。飛空機械の音も、頬に吹きつける風の感触も、徐々に奪われていく。
朦朧とする意識の中で、彼が最後に見たものは。
──殺せ。
──我らの前に立ち塞がるモノは、何もかも。
──壊しテシマエ。
焔だ。
闇よりもなお黒い、焔が、僕の中に──。
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終章