小説 WILD ARMS 2
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序章
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第一章
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第二章
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第三章
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第四章
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第五章
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第六章
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第七章
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第八章
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終章
日課である昼寝から起床したルカは、廊下に出ると頭の後ろで腕を組み、ひとしきり伸びをした。
「さて、と」
寝惚け眼を擦り、遅れて出てきた欠伸を噛み殺しながら階段を降りて、一階の酒場に顔を出す。
「お疲れ様です、ルカさん」
開店前のフロアでは給仕の娘が掃除をしていた。こちらに気づくとモップの柄を抱えて挨拶する。
「お疲れ。精が出るねぇ」
酒場の女店主はカウンターに立ち、水差しの水をグラスに注いで一気に呷った。そうして残りの眠気を飛ばしてから、腰に手を当て胸を張り、店内を俯瞰する。
年季の入ったテーブルや椅子も、質素な棚に並ぶグラスや食器も、隅々までよく整っている。いつもながら抜かりはない。
「ちょっと前まで薄汚い店だったのが、あんたが来てくれたお陰で毎日ぴかぴかだ。助かるよ」
「好きなんです。掃除とか片づけとか」
給仕の仕事よりも、と続けて言いかけたが、失言と思ったらしく途中で口を噤んで取り乱す。
「ご、ごめんなさい。別にお店に出るのが嫌ってわけじゃ」
「わかってるって」
ルカはカウンターから離れ、彼女の華奢な肩に手を置いた。
「ウチとしても、あんたはフロアにいてくれないと困るからね。看板娘が不在じゃ『ガンナーズヘブン』は閑古鳥だ」
「か、看板娘って」
うぶな少女のように頬を染める娘に、ルカは笑いながら背中を叩く。
「でも、本当にしんどいときは無理しなくていいよ。こないだみたいな馬鹿がまた絡んでこないとも限らないし」
「あ……はい」
その言葉に、今度は消沈して目を伏せる。
一年前まで彼女は裏の路地で花売り──私娼をしていた。まだ若く、しかも大人しい性格の娘は男たちに随分と酷い目に遭っており、それを見かねたルカが住み込みの店員として半ば強引に雇い入れたのだった。
そうした成り行きではあったものの、酒場の給仕となった彼女は思いの外よく働いた。不幸な境遇ゆえに花売りに身を窶していたが、本来は気立ての良い、真面目な娘だったのだろう。
だが、酔客の中にはわざわざ古傷を突いてくる者もいる。数ヶ月ほど前にも彼女を買ったことがあるという男に詰られ、ちょっとした騒動が起きていた。その際は居合わせた渡り鳥が追い払ってくれたのだが──。
「少し怖いけど、大丈夫です。お客さんもほとんどは良くしてくれますから」
あくまで健気な娘にルカは頬を緩めかけたが、すぐに引き締めて、敢えて意地悪な顔をする。
「そうだねぇ。絡まれたら、また例の王子様が助けに来てくれるかもしれないし」
「そ、そういうつもりじゃ……」
彼女は顔を背け、照れ隠しにモップで床を拭き始める。件の騒動を収めてくれた渡り鳥にご執心なことを、ルカは知っていた。
──向こうも女なんだけどね。
肩を竦めつつ、ルカも開店の準備にかかる。料理の仕込みをしようとカウンターに向かった、そのとき。
店の外で──銃声が響いた。
「何だ?」
首を伸ばして通りに面した窓を覗く。砂埃を立てて逃げ惑う住民たちが見えた。
不穏を感じて様子を見に行こうと思った矢先、外から店の扉が開かれた。
「る、ルカか」
「兄貴。どうしたんだ?」
血相を変えてフロアになだれ込んできたのは、共同で店を切り盛りしているルカの兄──アクセルだった。
「お前ら、すぐに逃げろッ」
「逃げる?」
「テロリストだ。外から大勢来て、街が襲われ……ッ!」
言い終わる前に、背後から差した影に蹴り飛ばされた。アクセルはテーブルに頭をぶつけて昏倒する。
「ここが酒場かぁ。案内ありがとよ、兄ちゃん」
兄を足蹴にした男は、ぬうと入口を潜って店に入ってきた。かなりの巨漢だ。大きさの合わない帽子をぼさぼさの頭髪のてっぺんに載せ、汚らしい無精髭を厚ぼったい唇の周りに生やしている。
そして、腰のベルトには──拳銃が。
「喉渇いてんだ。酒くれよ、酒」
「生憎まだ準備中だよ」
近くの椅子にどっかり座り込む無頼漢に、ルカは腕を組んで応対する。胡乱な連中のあしらいは慣れたものだが……こいつらは。
「あんた、テロリストの一味かい」
腹を決めて尋ねると、男は間の伸びた声でおう、と返事した。
「『オデッサ』だよ。知ってるだろ」
「よく知ってるよ。公共の電波でご高説垂れ流してた馬鹿の下っ端が、こんな田舎町に何の用だい」
「さぁな。俺らはジュデッカさんに『好きなようにしろ』って言われて来ただけだ」
「ジュデッカ?」
聞き返すと、オデッサの偉ぇ人だと男は答えた。
「あれはおっかねぇ人だから、逆らわないほうがいいぞ。俺らにとっちゃ有難ぇお方だがな」
店の外で再び銃声が轟いた。何かが壊れる音と悲鳴も聞こえる。
──無法者め。
上せていく頭を必死に鎮める。とにかくこの場を乗り切らなければ。
「それより、さっさと酒持ってこいよ」
「だからまだ開いてないんだよ。出直してきな」
「何だよ、つれねぇなぁ。だったら先にそっちを頂いちまうか」
そう言って目配せしたのは、カウンターの裏に隠れていた──給仕の娘。
「入ったときから気になってたんだ。こんな田舎にしては悪くない玉じゃねぇか」
巨漢はやおら立ち上がり、娘に近づく。
「やめな! ウチはそういう店じゃ……ッ!」
止めようとしたルカの前に、男の太い腕が伸びた。突き倒されて尻餅をつく。
腰の痛みに呻いている間に、巨漢はカウンターの隅に娘を追い詰めていた。娘は青ざめ怯えていたが。
「わかり……ました」
震える声で、言った。
「お相手します。だから二人に酷いことしないで」
「おう。わかったよ」
取引成立だ、と男は汚い歯を見せて笑った。
「ちょっと、何言って……」
ルカはテーブルにしがみついて立ち上がる。娘は男を二階へ促してから、こちらを向き。
「大丈夫です。こういうの……慣れてますから」
焦点の合わない、昏い瞳で──会釈した。
その瞳は。
ルカは思い出す。
裏路地に立っていた頃と──同じ瞳だ。
この娘はずっと、あの瞳で現実を拒絶して、生きていた。汚いものも嫌なことも、全部見ないようにして、受け容れて。
──そんなのは、慣れじゃない。生きることを諦めて、ただ耐えているだけだ。
だからルカは、彼女を助けてやりたかった。ちゃんと前を向き、目を開けて、汚いけれど綺麗なこの世界を見てほしかった。
だから。
「……ッざけんな」
行かせない。
「あんたは、ウチの」
椅子を抱え、振りかぶり。
「大事な娘なんだッ!」
階段を上りかけた巨漢の背中に、投げつけた。
椅子の脚が砕かれ、磨いたばかりの床に散乱する。男は足を止めたが痛がる様子はなく、緩慢にこちらを振り返ると。
「見逃してやろうと思ったのに。馬鹿な女だ」
口許を歪ませ、大股で襲いかかってきた。ルカは落ちていたモップで応戦したがあっさり振り払われ、壁際に追いつめられる。
逃げようとしたが手首を掴まれ、そのまま壁に押しつけられた。男はルカの股に膝を入れ、背中に体重をかけて抑え込む。
そして、腰から銃を抜くと──銃口を頭の後ろに押し当てた。
「ルカ……ッ!」
気を失っていた兄が身体を起こして叫んだ。娘も悲鳴を上げる。
男は二人を視線で牽制してから、ルカに向けて言う。
「最後のチャンスだ。命乞いすりゃ許してやる」
「……冗談じゃないね」
──ここまでか。
ルカは壁に額をつけたまま目を閉じ、うっすらと笑みを浮かべる。
そして精一杯の憎しみを込めて、吐き捨てた。
「くたばれ、クソ野郎」
銃を握る腕がピクリと反応し、引金が──。
「あん?」
男が妙な声を上げ、次の瞬間、背中が軽くなった。ルカが頭を回して振り返ると、そこには。
「て、手前ェ……ッ!」
直立し、顎を突き出したまま喘ぐ巨漢。拳銃は足許に転がり、喉元には刃が光っている。
その刃を握り、後ろから男を締め上げていたのは──。
「あんた……」
鴉の尾羽を思わせる黒髪。鼻筋の通った端正な顔立ち。そして左眼を覆う……眼帯。
あの、女渡り鳥だった。
「ジュデッカは何処だ」
女は短刀を突きつけたまま問うた。
「なに……を、ッ」
男は巨体を捩らせて逃げようとするが、腰の後ろで固められた両腕はびくともしない。
「貴様らを街にけしかけたのはジュデッカなんだろう。奴は何処にいる」
「そんなこと……ぐぁあッ!」
男が顔を歪めて仰け反る。後ろ手にした指を──折ったのか。
「あと九本ある。答えなければ次は薬指だ」
「や、やめろ。頼む、やめてくれ」
ルカは眉を顰めた。いくら悪党が相手とはいえ、このやり方は……惨い。
口出しするか迷いながら彼女の様子を窺う。そして息を呑んだ。
彼女は──窶れていた。目許には隈が浮き、顔色も病人のような土気色をしている。痩けて窪んだ眼窩の中の眼球だけが、ぎらぎらと光を放っていた。
その姿を見てルカは思い出した。この渡り鳥は先日も行き倒れて店に担ぎ込まれてきたのだった。一晩休ませたら顔色も良くなったので大して気に留めなかったが。
──どこか悪いのか。
「もう一度聞く。ジュデッカは」
「きゅ、給水塔だッ。給水塔の上にいる」
額に脂汗を浮かせながら、男が答えた。
「……そうか」
彼女はひとつ呟き、それから短刀を握る手に力を込めた。
殺す気だ──。
「駄目だッ!」
咄嗟に叫んだ。喉を掻き切る寸前で刃が止まる。
ルカは階段の手前で立ちつくす娘を気にしながら、渡り鳥に言う。
「店の中に死体転がすのは……やめてくれ」
フロアが血で汚れるのはもちろん嫌だったが、それ以上に。
──殺させてはいけない。見ている娘のためにも、この女自身のためにも。
女渡り鳥はぎろりと眼を剥いてこちらを見る。その表情には余裕がない。抜き身の刃のような危うさを感じた。
それでも臆せず見返していると、不意に顔を背け。
「柱にでも縛っておけ」
そう言って巨体を放り出し、風のように店を出ていった。
ルカはすぐさま男にのしかかり、床に落ちていた銃を拾って肩口に突きつける。
「兄貴、ロープだ。早く」
「わ、わかった」
アクセルが足を縺れさせながら裏の倉庫へと駆け込む。無頼漢は既に観念したのか、尻の下でぐったりと突っ伏している。
油断なく銃を構えながら、ルカは店の入口に目をやる。左右の扉が彼女の通った名残とばかりに揺れていた。
テロリストの……ジュデッカ。そいつのいる給水塔へ向かったのか。
あんな状態で──。
「あの方……大丈夫でしょうか」
給仕の娘が心配そうに呟く。
「ああ……」
酒場の女たちは、未だ名も知らない恩人の身を案じた。
瞼の向こうに眩しさを感じて、リルカは緩々と目を開けた。
暗がりの中で仄かに灯っていたのは……涙の形をしたランプの炎。枕元に置かれてあるようだ。
ぼうっとしたままの頭で掛け布を剥いで、身体を起こす。ベッドは雲の上みたいにふかふかだった。
「あ……れ?」
周りの景色に違和感を覚えて、一気に覚醒する。宿屋にしては部屋が広すぎる。ヴァレリアの館とも違う。壁紙も絨毯も調度品も、やたら豪華で高そうだ。
「……わお」
ベッドの上には天蓋までついていた。絵本で見たお姫様の部屋に迷い込んだ気分だ。
夢の続きなのか現実なのか判然としない中、とりあえず寝床を出る。身に着けているのもいつもの赤いワンピースではなく、光沢のある白い生地の寝間着だった。つるつるした肌触りが頼りなくて、どうにも落ち着かない。
薄暗い部屋を所在なくうろついて仲間の姿を探したが、見当たらなかった。どうして自分だけこんな場所にいるのだろう。
──ていうか。
「ここって……」
どこなんだ。
「母上の部屋です」
思わず返事が返ってきて、リルカは軽く跳ね上がる。
「王子、さま?」
開かれた扉の前に立っていたのは、ギルドグラードのノエル王子。帽子は被っておらず、耳まで掛かった癖毛が微風に揺れている。脇には布の袋を抱えていた。
「まだお休みかと思って開けてしまいましたが……出直しましょうか」
「え、いえ、いいですよそんな。どうぞ」
考えなしにそう言ってから、後悔する。寝間着姿というのを忘れていた。
今更断るのも気まずかったので、中途半端に身体を背けつつ、入ってくる王子を横目で見る。失礼な態度かもしれないが、正面から見られるのは何となく嫌だった。
「アシュレーさんとティムさんも、下の階の客間におります。無理を言って宿から移っていただきました」
どうやらここはギルドグラード領主の私邸らしい。それにしても。
「なんで、わたしだけ」
こんな凄い部屋に通されたのだろう。
「空いている個室がここしかなかったのです。大事なお客様をソファで寝かす訳にもいかないですから」
「そんな気を遣わなくても。わたしなんて地べたで雑魚寝でいいくらいです。この絨毯ならグッスリ寝られます」
そう言うと王子はくすくすと笑った。冗談だと受け取られてしまったらしい。本当のことなのだけど。
「母上が亡くなって以来長らく使われていない部屋なので、お気になさらず。服などは片づけてしまいましたが、ベッドはそのまま残してあったので良かった」
彼の母親──つまり頭領の奥さん。亡くなっていたのか。
「ああ、これを忘れていた」
何かお悔やみでも返そうかと迷っているうちに、話を変えられてしまった。
王子は脇に抱えていた袋をベッドの上に置いた。中から出てきたのは──見慣れた赤いワンピース。
「小間使いに頼んで修繕してもらいました。先程仕上がったようなので、こうしてお届けに上がったところです」
「直して、くれたんですか?」
唖然としつつ、リルカも近づいて自分の服を眺める。カイーナとの対決でやられた破れ目や穴が、すべて綺麗に塞がれていた。鼻が触れるくらいに近づかなければ縫い目も当て布の跡もわからないくらい、見事な仕事ぶりだ。
「最初は新しい服を差し上げようと思ったのですが、何やら思い入れのある品だとアシュレーさんに伺いましたもので」
いかがでしょう、とノエル王子は少し不安そうに聞いてきた。
リルカはそれに答えられず、ただひたすら……戸惑った。
姉の形見の一つである、お下がりの服。もちろん大事なものだ。直してくれたことはとても嬉しい。
だけど。
「なんで……そこまでしてくれるんですか」
向けられた好意を持て余して、リルカは下を向いた。
叱られたり、馬鹿にされたりするのは慣れていた。でも。
優しくされたときは……どうしたら。
「誰にでもする訳ではありません」
ハッとして顔を上げる。いつの間にか正面に立たれていた。それも、息が触れるほどの距離で。
「この際、正直に申しましょう」
目が合う。月夜の湖のような、静かで深みのある瞳だった。
「全てはこうして二人きりになるための口実です。貴女に」
伝えたいことがあるから、と王子は真摯に見つめてくる。
リルカは気恥ずかしくなって顔を背けようとしたが、その前に腕を掴まれた。
「出会ってまだ一日も経っていませんが──いや、時間など関係ない」
彼女の手を取ったまま、年下の王子はその場に片膝をついた。
──これは。
「貴女は、わたくしが今まで会った誰よりも素敵な女性でした。ですから」
夢だ。
こんなこと、起きるわけがない。
やっぱり、まだ夢から覚めていなかったんだ。
「ノエル・アナハイム・ギルドグラードは、貴女に交際を──申し込みます」
そう言うと王子は、リルカの手に口づけをした。
夢なのに、その感触もぬくもりも、はっきりと伝わってきて。
目の前が──真っ白になった。
「返事は急ぎません。いつまでも──お待ちしております」
王子はそう告げて一礼し、部屋を退いた。ぱたりと扉が閉められる。
再び一人になったリルカは夢心地のまま、引き寄せられるように寝床へと向かう。
静寂の寝室に、どさりとベッドに突っ伏す音が響いた。
一夜明け、アシュレーたちARMSは再び頭領の許を訪ねた。
すっかり顔馴染みとなった護衛の案内で通されたのは謁見の間──ではなく、そこに隣接する会議室だった。中央に長机と椅子が並び、奥の席では既に仏頂面の頭領と彼の補佐官が陣取っている。二人からやや離れた席にはノエル王子の姿もあった。
ARMS側の席は彼らの正面に設けられていた。とりわけアーヴィングの名代として臨むアシュレーの席は、完全に頭領の真向かいに用意されてある。昨日までの冷淡な扱いから一転して、首脳会談さながらの厚遇ぶりだ。
「ARMSに領土の航行許可を与える」
アシュレーたちが着席するなり、頭領は切り出した。
「こうなっては仕方あるまい。わが国内での部隊の展開を認める。オデッサを……止めてくれ」
あれほど頑なに拒んできた、領土の自由通行権。それを早々に認めてしまった。今回の件はそれほど彼らにとって痛恨だったのだろう。
超兵器──『核』をオデッサに奪われた。世界を灰燼に帰すほどの凶器を連中は手にしたことになる。三大国家にとって脅威が増したのは間違いない。
それに加えてギルドグラードは、超兵器の保有を企てていたという事実も露見してしまった。未遂とはいえ頭領の行為は明らかにイスカリオテ条約に違反している。メリアブールやシルヴァラントからの非難は避けられず、それを躱すためにも両国が支持するARMSへの協力は、やむを得ない措置なのだろう。
結果的に──あくまでも結果的にだが──オデッサが超兵器を強奪したことで、ARMSはファルガイアの全域で活動できるようになったのである。
補佐官がアシュレーの前に文書を差し出した。ARMSの活動許可に関する約定のようだ。隣のティムが興味津々に見つめる中、文言に目を通して署名をする。
これで、三大国家がARMSの名の許に統率された。
──いや。
勘違いしてはいけない。これは単に領土内で自由に活動できる権利を得ただけだ。国家を纏め上げた訳でも、ましてや国家の上に立った訳でもない。
だが。それでも。
──各国の利害を調整し、統一した理念を確立する──。
最初にアーヴィングを訪ねた際に彼が語っていた、ARMSの目的。それに確実に近づいたことだけは間違いないだろう。
アシュレーは、英雄の末裔でもある指揮官の姿を思い浮かべる。
この先、あなたは……何をする。
本当に僕たちを正しく導いてくれるのか──。
「それで、これから……どうする」
すっかり覇気の失せた顔で頭領が言う。
「『核』は、その威力からして即座に使用することは考えられんが、抑止力としては充分すぎるほど有効だ。ちらつかせて脅迫を仕掛けてくるかもしれん。そうなっては既存の軍事力では対処できんぞ。民衆も混乱する」
「はい。ですから──」
昨晩アーヴィングと連絡を取り、事の次第を報告した。
そして、かの指揮官が熟考の末に下した決断は──。
「一気に決着をつけます」
超兵器を使われる前に、叩き潰す。
「できる……のか?」
頭領は些か目を見開いて問うた。アシュレーは頷いてみせる。
「オデッサを構成している人員の大半は、渡り鳥崩れや元囚人など、いわゆるならず者の寄せ集めです。それをヴィンスフェルトと数名の幹部が強引に束ねているに過ぎない。ですから頭さえ潰せば」
テロリスト集団としてのオデッサは、瓦解する。
「『頭』の所在は判っているのか」
「手掛かりは掴んでいます。プラントの残骸から抽出したデータを解析にかけたところ、その付近に何らかの拠点があることを突き止めました」
それも昨晩、アーヴィングから聞いたことだった。プラントで作成したエネルギーは、地下のパイプラインを通して砂漠の別の地点に送出されていたという。
「オデッサは『核』の他にも、強力な兵器もしくは飛空機械──切り札を持っています。エネルギーを送るということは、その隠し場所である可能性が高い」
「エネルギーの充填が済んだのであれば──起動は近いか」
頭領が口髭を弄りながら唸る。
「その前に叩いておきたいところだな」
「はい。拠点の位置が判明し次第、乗り込みます」
現在、シャトーの乗組員が夜通しで探索しているという。自分たちだけでなく、彼らも同様に戦っているのだ。
「わたくしたちも可能な限り協力します」
末席からノエル王子が申し出た。横の席でずっと黙っていたリルカがなぜか反応する。
「兵器でも武器でも、我が国の装備が必要ならば遠慮せず申し付けください。いくらでも支援いたします」
「こ、こら。何を勝手に」
国の長である自分を差し置いての発言を頭領が咎めたが、どことなく及び腰だ。
「父上こそ、何を尻込みしているのです」
対して王子の方は、慎むどころかさらに言い募る。
「今はファルガイアの命運を左右する一大事です。ここで協力しなくてどうするのですか。そもそも今回の事態を招いたのは父上の軽挙が原因なのだから、これ以上我が国の信用を落とさないためにも率先してサポートする姿勢を見せていただかなければ」
「わ、わかった。お前の言う通りだ」
聡明な息子の弁舌に、頭領はあっさりと折れた。両者の間で控える補佐官も諫めることなく、むしろ王子の言葉に満足そうな顔さえしている。
それを見たアシュレーは、確信する。
アーヴィングは恐らくこれを見抜いていたのだ。用意周到なあの貴族は、最後の砦だったギルドグラードの内情を調べ上げ、この親子の力関係も把握していたのだろう。
だから。
息子の信頼さえ得られれば、父親は自ずと落ちる。
そう見込んだからこそ、彼は今回の任務を引き受けたのだ。王子にARMSを信頼してもらう好機と考えたに違いない。
そして、彼の目論見通り──ギルドグラードは落ちた。
返す返すも油断ならない男である。
アシュレーは苦笑を噛み殺しつつ二人に礼を述べ、それから続けた。
「今のところは僕たちだけでやるので大丈夫です。その代わり別件でお願いしたいことが……ええと」
言いながらシャツの胸ポケットから紙切れを取り出す。アーヴィングからの伝言がメモしてある。
「万が一『核』を使用された際に備えて……対核兵器用の迎撃システムを開発していただきたい、とのことです」
「何だと?」
頭領が眉を聳やかした。
「そんなもの、どうやって……」
「発動前であれば既存の大型ARMで撃破できるはず……だそうです。リニアレールキャノンをベースにして、魔導器とライブリフレクターを組み合わせて大気圏外から射出させる──と」
紙切れに書き留めた文言をそのまま読み上げたが、正直アシュレーには珍紛漢紛だった。頭領には伝わるはずだとアーヴィングは言っていたが。
「ライブリフレクターの応用か。なるほど……よくも思いついたものだ」
感心している。本当に伝わったようだ。
「だが、そんな兵器を作ればそれこそイスカリオテ条約に引っかかるぞ。他国にはどう説明するのだ?」
「その点は三ヶ国の共有兵器という扱いにすることでクリアするつもりだそうです。システムにはメリアブールやシルヴァラントが管理するライブリフレクターも組み込まれているので」
両国の許可がなければ起動できない。三大国家の総意があって初めて、この兵器は使用できるのだ。
「あと、魔導器はシエルジェのマクレガー研究室に開発してもらう予定なので、そちらとも連携を取っていただきたい、とのことです」
伝え終えたアシュレーは紙切れを再びポケットに差し入れ、それから頭領の反応を窺う。
「ギルドグラードにメリアブール、シルヴァラント、そしてシエルジェ……か」
各国が一致協力してひとつの兵器を作り、脅威に対抗する。これまでの枠組みでは考えられなかったことだが、ARMSによって橋渡しがされた今なら──確かに可能かもしれない。
「発想は悪くないが……机上論の域を出ていないのは否めんな」
工業国の主はいつもの不愛想で指摘したが、眼差しには好奇の色が見えた。感触は悪くない。
「いくら我が国の技術でも、そんなもの作れるかわからんぞ。よしんば作れたとしても『核』の発動までに完成できるとは思えん」
「間に合わなくても構いません」
とにかく超兵器への対策があり、その準備をしているという姿勢を世間に示すことが重要なのだと、指揮官は言っていた。オデッサに焦りを生じさせ、民衆の動揺を抑える──そうした副次的な効果こそが、本当の狙いなのだという。
その意図を説明すると、頭領はしばらく沈思黙考した。
そして。
「いいだろう」
髭面を突き出し、笑顔こそなかったが──やや頬を緩めて言った。
「貴様らの大言に乗ってやる。『ギルドグラードの威信をかけて完成させてみせよう』──これでいいのだな」
「ありがとうございます」
公式な場での言質を得て、交渉は成立した。
アシュレーは椅子に深く座り直し、表情に出さないよう密かに安堵した。どうにか昨晩の打ち合わせ通りに話を運ぶことができたが……やはりアーヴィングの代役は荷が重い。次は頼まれても断ろうと内心思う。
具体的な打ち合わせは後日、ということで会議が開きかけたそのとき、アシュレーの腰につけていた通信機が鳴った。
〈大変です、アシュレーさんッ〉
エイミーの能天気な声を予期して応答したが、スピーカーから聞こえたのはケイトの切迫した声だった。
──何かが起きたか。
〈襲撃です。たぶんオデッサだと、思われますッ〉
案の定、彼女は早口で緊急事態を告げた。ティムとリルカも席を立って詰め寄る。
「襲撃? シャトーが襲われてるのか?」
〈いえ、そうじゃなくて。通報があったんです……ダムツェンから〉
「ダムツェン?」
メリアブールの南部にある鉱山の街。アシュレーたちも任務で訪れたことはあるが。
「どうしてダムツェンが襲撃されてるんだ?」
〈それは……不明です。ただ、あの街にはテレパスタワーの関連施設があります。管理人も住んでますし、占拠されると通信網に影響が及ぶかもしれません〉
またテレパスタワーを利用して何か企んでいるのか。この期に及んで電波ジャックなど意味はない気もするが。
「僕らはどうすればいい。アーヴィングは?」
〈それが、その〉
〈はーい。ミーちゃんがお答えしまーす〉
エイミーが割り込んできた。こうした状況に限っては彼女の方が話が早い。
〈アーヴィングさん、今はメリアブールにお出かけしてて。さっきやっと連絡ついたから指示もらってきたよ。えっと〉
ひとつ咳払いしてから、わざわざ声色を変えて言う。
〈『至急、現場に行きダムツェンを守れ』……以上ッ〉
「そ、それだけ?」
〈それだけ〉
じゃ、後はよろしくと、エイミーは一方的に交信を切ってしまった。アシュレーは通信機を片手に途方に暮れる。
「現場に行け、と言われても……」
ここからダムツェンがあるメリアブール南部までは、最短でも海路で二日はかかる。どう考えても間に合わない。
「シャトーはまだ、動けないんですよね……」
「ああ」
ヴァレリアシャトーは昨夜帰投したばかりだ。例によってエネルギーの補充で明日までは航行できない。
──どうしろと言うのだ。
一体どうやって、ダムツェンに……。
「……テレポート」
アシュレーが焦れていると、リルカが柄にもなく小声で言った。
「魔法でテレポートすれば、すぐ行けるよ。……たぶん」
「ああ」
その手があったか。だが。
「確か三人以上はテレポートできないんじゃなかったか?」
以前──あれはティムがバスカーに誘拐されたときだったか──リルカに魔法で移動できないか尋ねたことがあった。その際は転送する人数が多くて無理だと断られていたと思うが。
「厳密には人数じゃなくて質量……つまりサイズの問題なの。あのときはブラッドの大きさがネックで難しかったけど、今はアシュレーとティムだけだから……ギリギリ行けると思う」
行ける、という言葉とは裏腹に、いかにも気乗りしない態度だった。
その理由は、アシュレーも知っていた。
彼女にとってテレポートは──鬼門なのだ。
シエルジェから旅立ったとき、彼女はテレポートに失敗して散々色々なところに飛ばされまくったらしい。最終的に辿り着いたのもヴァレリアの館ではなくタウンメリアだった訳だから、結局一度も成功していない。
そしてアシュレーが知る限り、それ以来テレポートは使っていない。先に説明した理由ももちろんあるのだろうが、彼女自身も苦手さゆえに使用を避け続けてきた節があった。
だが、今は。
「その方法しかなさそう……だな」
頼めるか、と尋ねたが、リルカは下を向いて黙ってしまった。言ってはみたもののやはり自信がない──といったところか。
「大丈夫ですよ」
意外な方から励ます声があった。ノエル王子だ。
「リルカさんならできます。自信を持って」
「自信なんて持てないです。成功したことないんだから」
珍しく強い口調だった。しかも一国の王子を相手に。アシュレーは冷やりとしたが、言い返された当人は意に介する様子もなく、続けて言葉を投げかける。
「最後にその魔法を使ったのは、いつですか」
「……五ヶ月くらい前」
「それから現在までに、新しい魔法を覚えましたか」
「そりゃ、まあ。六つか七つか、そのくらいは」
「ならば大丈夫です。それだけ上達したなら次は成功します」
「は? なんですかそれ。一体どんな基準でそんなコト……ッ!」
ようやく王子とまともに言い合っていることに気づいたか、口を噤んでまた下を向く。
「貴女の魔法はわたくしを魅了してくれました。そう、まさしく──魔法のように」
今の貴女は素晴らしい魔法使いです、と王子は昨日の言葉を繰り返した。
「でも、あのキザイヤミに負けました」
「勝負など少しの匙加減で引っくり返るもの。何の尺度にもなりません」
王子は机を回り込み、彼女の前に立つ。
「何度でも言います。リルカさんは素晴らしい魔法使いです。恐らくきっと──貴女が思う以上に」
「わたしが、思う、より……?」
何か引っかかったのか、リルカは顔を上げて王子を見る。
「自分の背中は自分で見られない、と貴女も仰っていたでしょう。その通りです。貴女は自分の背中がちっぽけなものと思っているのかもしれませんが、決してそんなことはありません。わたくしが見た貴女の背中は、とても──大きかった」
「背中が大きい……って」
リルカは物凄く複雑な表情をして、それから──あろうことか、王子の面前でプッと吹き出した。
「女の子に対して、それはないです。太ってるみたいじゃないですか」
「ああ、いえ、そういう意味では」
「わかってます」
彼女はぺこりと王子に頭を下げてから、踵を返して机に向き直った。そしてポーチを開け、筆記用具と折り畳まれた世界地図を取り出す。
テレポートを──使う気だ。
「言っとくけど」
机上に広げた地図に定規を当てながら、リルカはアシュレーに言った。
「失敗しても、責任取らないからね」
「責任は僕が持つよ。……いや」
この際アーヴィングに押しつけてしまうか、と冗談めかして言うと、それがいいねとリルカも返した。
──大丈夫そうだな。
魔法の下準備をする彼女を、アシュレーは横から見守る。ダムツェンまでの距離を測り終えると、地図を裏返して余白に書き込みを始めた。何かの計算をしているようだ。
アシュレーはふと、彼女と最初に会ったときを思い出す。
パン屋の窓にへばりついていた、腹ぺこの女の子。半人前の『エレニアックの妹』は、あれから少しずつ強くなって、逞しくなって。
いつしか一人前の魔法使いに──なっていたようだ。
「支度できたよ」
地図をポーチに差し入れ、次に琥珀色をした飴玉のようなものを取り出した。テレポート用の魔法道具だという。
リルカは右手に玉を握り、左手をこちらに差し出した。促されるままアシュレーはその手を握り、ティムにもアシュレーの空いている手を繋がせた。
「途中で気分悪くなるかもしれないけど、絶対に手は放しちゃダメだよ」
「もし……放したら?」
おずおずと尋ねるティムを、リルカは鬱陶しそうに睨む。
「聞きたい?」
「いえ。やっぱりいいです……」
とにかく放さなきゃいいの、とぞんざいに言ってから、掌中の玉を胸許に翳す。
「行くよ。──空間接続」
唱えた瞬間、玉が弾けて琥珀色の砂が飛散した。砂は彼らの頭上でにわかに回り、逆様の竜巻のように渦を巻き始めた。
その黄金に輝く渦を見つめていると、ふわりと身体が浮いて中に吸い込まれる感覚がした。意識だけがそう感じるのか──それとも本当に吸い込まれているのか──どちらか判然としないまま、渦がみるみる目の前に迫り、呑み込まれて。
「う、わ──」
気がつくと、細い管の中を凄まじい速度で移動していた。あたかも神経を伝う電気信号になったかのように、幾重にも枝分かれした管を奔り、駆け巡る。
それは数秒の出来事だったか、それとも数十年か。時間の認識が混濁する中、やがて見えてきた管の出口を突き抜けて──。
唐突に視界が戻った。
外の──空気だ。砂埃混じりの乾いた風が目に染みる。振り向くと、いくつかの建物の影と、その屋根の向こうに沈みかけた西陽が見えた。
「う……」
隣のティムが手を放し、口を押さえながら後ろの岩陰に駆け込む。吐き気を催したらしい。
「ここ、ダムツェン……だよね」
リルカは既に少し離れたところで、不安そうに周囲を確認していた。アシュレーも同じように見回して、近くの見憶えある建物に気づく。
「ああ。間違いない」
ダムツェンの診療所。地下交易路の崩落に巻き込まれた行商から事情を聞いた場所だ。
「はぁ~……よかった」
初めてのテレポート成功に、リルカは肺の中の空気を残らず吐き出して脱力した。やはり相当の重圧を感じていたようだ。
「ティム、大丈夫か?」
口許を拭いながらティムが戻ってきた。まだ顔色は悪い。
「あんな怖い目に遭うなんて、聞いてなかったです」
涙声で抗議したが、リルカにヘタレと突っぱねられて肩を落とす。
アシュレーはもう一度、ダムツェンの街並みを見回した。
襲撃されている──という話だったが。
「……静かだな」
「そうだね……」
もしかして既に、と悪い予感が頭を過ったとき、一発の銃声が轟いた。
すぐ近く──あの給水塔の辺りか。
彼らは急いで駆け出した。
限界など、とうの昔に超えていた。
脚も腕も、もはや思うようには動かない。オリジナルを遥かに凌駕する性能を誇っていた紛い物は、今や並の人間以下の動作にまで落ちている。
──人間、以下。
むしろ自分に相応しい有様かもしれないと、カノンは自嘲した。
人としての矜持も尊厳もかなぐり捨て、人間と亡霊との狭間を彷徨ってきた。生への執着を薪にして、怨念の炎を燃やし続けた。
その果てが──これか。
西風に舞い上がる砂埃。遠巻きに取り囲む無頼の連中。そして。
給水タンクを背にして佇む、丸眼鏡の男。左手の拳銃をだらりと垂らし、粘着質な笑みを浮かべて、高みからこちらを見下ろしている。
「なんか弱ってるねぇ。そんなナリでよく避けられたもんだ」
ずり落ちた眼鏡を銃口で押し上げながら、男──ジュデッカは軽口を叩く。
あの銃口から放たれた弾を、カノンは辛うじて回避していた。頭の中心を狙いすました一発は、本能的に身を捻った彼女の蟀谷を掠め、背後の地面に突き刺さっている。
ジュデッカは、常に頭しか狙わない。脳天がカボチャみたいに弾け飛ぶのを見るのが好きなんだ──と、まだ一介の渡り鳥だったあの男が嬉々として語るのを、彼女は聞いたことがあった。
反吐が出る。
渡り鳥たちの間でも、ジュデッカの名はよく知られていた。尤も当時は別の名前で通っていたが──射撃手としての腕前もさることながら、その奇矯な言動においても、同業者の中では何かと耳目を集める存在であった。
そんな男が、なぜテロリストなどに手を貸すことにしたのか。その心中は到底理解できないし、したくもないが──どうせ大した理由ではないのだろう。
楽しいか、楽しくないか。あの男の判断基準はそれだけなのだ。楽しいと思えばどんな下らないことでも仕出かすし、楽しくなくなれば即座に投げ出す。周囲への影響や配慮など、微塵たりとも頭にない。
オデッサに与するのも、好き放題やらせてくれるから──恐らくその程度の理由に違いない。ヴィンスフェルトもその性状を見越し、奴が喜びそうな任務を割り振ることで、制御不能なこの奇人を巧みに利用しているのだろう。
給水塔の足場の上で、ジュデッカはニタニタと笑いながら、何度もずり落ちた眼鏡を直している。今回も奴は任務を満喫しているようだ。見ているだけで胸糞が悪くなる。
──殺してやる。
「殺したい、って顔だねぇ」
ジュデッカが言う。カノンは口許を歪め、手負いの獣さながらに睨み返す。
「僕って君に恨まれるようなこと、したっけなぁ。……ああ、そういや」
君を直してくれそうな人を殺しちゃったか、と両手を広げて巫山戯てみせる。
──そんなことは。
「どうでもいい」
どうせ、この身は長く保たない。
「あたしは、ただ」
殺意の塊となって。
「貴様を──狩るッ!」
懐の短刀を抜き、ジュデッカめがけて跳躍したが──届かない。義肢の性能低下が著しい。咄嗟に左の義手を発射して足場の手摺を掴み、ワイヤーの巻き取りを利用してどうにか上昇する。
ジュデッカが発砲した。カノンは空中で短刀を眼前に翳し、刃の付け根で弾を防ぐ。奴が照準とするのは決まって眉間の中心、しかも寸分の狂いなく正確だ。回避の動作さえ追いつけば、やり過ごすのは難しくない。
足場に降り立ち、軋む全身を叱咤してジュデッカとの間合いを詰める。
──壊れても構うものか。
決死の覚悟で駆けながら放たれた弾を躱し、身体を落として足払いをかける。ジュデッカは慌てて避けたが爪先を払われ、後ろに蹌踉めく。
その隙にカノンは再び義手を放ち、体勢を崩した拳銃使いの左肩を拳で殴打した。衝撃でジュデッカは握っていた銃を取り落とす。足場から落下した銃が塔の骨組みに当たって乾いた音を立てる。
「もう一丁ッ」
両足を踏ん張って立て直したジュデッカが、腰の後ろに差した銃を右手で取って早撃ちする。奴の奥の手だ。それも見切っていたカノンは再び短刀を翻して弾き返すと、返し刀で、
肩口から胸を──斬り裂いた。
首筋から鮮血が迸った。斜めに裂けたシャツがみるみる血に染まる。
仕留めたと確信してカノンは短刀を収めた──が。
「ああ。また死にかけた」
ジュデッカは血塗れの自分の身体を見て、無感動にそう言った。表情には苦悶も恐怖の色もない。まるで、何も起きていないかのように。
「どうして僕ばカり、こんな目に遭ウんだ。おかげデ、コンナ──」
カノンは目を瞠る。
ジュデッカが、目の前で変貌していく。
皮膚がひび割れ剥がれ落ち、肉は削げて、剥き出しになった筋肉と骨が人ならぬ形に変化していく。
「──姿ニ、ナッチャッタヨ」
金属質な声を発する、それは。
異形の悪魔──。
「チットモ楽シクナイケド、死ヌヨリマシカ。ソレトモ」
思考が追いつく前に、腕が伸びて喉元を掴まれた。
「君ヲ殺シタラ、楽シイ気分ニナルカナ」
まさか、これは。
振り解こうと藻掻いたが、昆虫の脚を思わせる腕はびくともしない。逆に頸を締め上げられて息が詰まる。
「コノママ窒息スルノガイイ? ヒト思イニ握リ潰シテホシイ? ドッチデモ僕ハ構ワナイケド──」
耳障りな声が遠ざかる。あらゆる感覚が鈍化して、意識の下に沈み込む。
頭の中で膨れ上がった何かが破裂する──その寸前。
無音の衝撃に視界が揺れた。弾かれて地面に倒れる。
何が起きたのかを考える間もなく、カノンは気を失った。
何が起きたのか、信じられなかった。
射撃したばかりの銃剣を下ろし、再度それを刮目する。
「痛イナァ、モウ」
給水塔の足場で、徐に頭を回してこちらを見下ろす、それは。
赤黒い骨格と筋肉で構成された──魔物。
「あれは……」
アシュレーは見憶えがあった。
剣の大聖堂で。──いや。
あの姿は、むしろ……。
「ジュデッカ……でしたよね。さっきまで」
背後でティムが困惑する。
そう。彼らが駆けつけたとき、あの魔物は確かに人間──ジュデッカの姿で、カノンらしき黒髪の女と切り結んでいた。
それを確認した直後、三人は塔を取り囲んでいた破落戸どもに絡まれてしまった。連中への対処で目を離した、その数分の間に……上の状況が一変したのだ。
人のかたちをした、異形のモノが──カノンの頸を絞めていた。
ともかくカノンを助けようとアシュレーは銃を放ち、その衝撃によって彼女は解放されたが、魔物はダメージを負った様子もなく。
黒光りする殻に覆われた頭を、こちらに向けている。
「あれって、アシュレーが」
変身したときの──とリルカが言いかけて、その事実に怖くなったのか口籠る。
アシュレーは奥歯を食い縛り、ジュデッカと思しき異形を睨んだ。
恐らく、彼女の想像通りだろう。あの姿はアシュレーの変身形態──ナイトブレイザーによく似ていた。
それは、つまり。
降魔儀式を利用した──魔物の憑依。
「驚イテルノ? マア当然カ。僕モ君ガ変身シタトキ驚イタシ」
魔物は両腕を広げて戯ける。仕草はいつものジュデッカだが、その腕は昆虫めいた節と筋が剥き出しており、笑みが張りついた顔には赤黒い血管が網の目のように浮いていた。
「別ニ、ナリタクテ、コンナ姿ニナッタワケジャナインダヨ。ソコノ子供」
いきなり視線と言葉を向けられ、ティムは肩をすぼめて動揺した。
「君ニ身体ヲ壊サレチャッタカラネェ。命ハ助カッタケド、全身ボロボロデ、指先一本ロクニ動カセナイ。魔法デモ治ラナイ」
バスカーを襲撃した際、ジュデッカはティムに返り討ちに遭っている。その際の負傷で……再起不能になったようだ。
「寝タキリナンテ楽シクナイジャナイ。ダカラ、魔物ノ力ヲ借リテ治スコトニシタンダ」
君ト同ジヨウニ、と再びアシュレーに向けて言った。アシュレーもそれで理解する。
変身によって体組織が再構成される際、人間の姿のときの損傷は回復するのだ。現にアシュレーもゴルゴダ刑場で瀕死に陥ったものの、変身を経た後はすっかり治っていた。
当然オデッサ側も、そうした分析は行っていたのだろう。そして……ジュデッカの身体で試した。この男も、再び動けるようになるために進んで実験台となり。
自らの意思で、その裡に魔物を──宿した。
「お前は……そんな姿になってまで」
生きていたいのか。
アシュレーの言葉に、異形の姿となったジュデッカは肩を竦める。
「君ダッテ同ジジャナイ。生キタイカラ、アンナ姿ニナッタ」
「僕は……ッ!」
拳を固めたが、すぐに緩める。
望んで魔神を宿したわけではない。
だが。
生きたいと望んだことが覚醒をもたらした。そのことには確かに──違いはないのかもしれない。
「ドウセ人間イツカハ死ヌシ、イツ死ヌカハワカラナインダ。ダッタラ一分一秒デモ楽シク生キタ方ガイイジャナイカ。ミンナ同ジ穴ノ狢ダヨ。僕モ君モ、コノ女モ」
ジュデッカはそう言って、足許に横たわるカノンに視線を落とす。
生への欲望。生への執着。生への拘泥。
全部同じか。いや。
「僕らは、お前とは違う」
あの男の生は、軽視しているが故の……裏返しの拘りに過ぎない。だから自分以外の生をいとも容易く踏みにじることができる。
「他人の生を弄ぶお前に、生を語る資格などないッ」
そう叫ぶアシュレーを、異形のジュデッカは一笑に付した。
「相変ワラズ、ツマラナイ連中ダネェ。君タチガ相手ダト、イツモ楽シクナラナイ」
そう言うとこちらに背を向ける。立ち去るつもりか。
「待て、ジュデッカ!」
「残念ダケド、マダ本番ジャナインダヨ」
今ノ僕ハ単ナル前座、と振り返りもせずに返す。
「素敵ナショーガ、モウスグ始マル。決着ハソノ後ダ。君タチガ生キテイレバネ」
「何を……ッ」
塔の下で待ち構えるアシュレーたちを嘲笑うかのように、ジュデッカは足場から高々と跳躍して診療所の屋根に降り立つ。そうして建物の向こうへと姿を消して──。
逃げられてしまった。
やはりナイトブレイザーと同様、超人的な身体能力を持っているようだ。
だが。
「お、おい」
「ジュデッカさん、逃げたのか?」
「逃げやがった」
「俺らを置いて……あの野郎」
遠巻きに見ていた破落戸どもが騒ぎ始めた。ジュデッカの命令で駆り出された末端兵のようだが……アシュレーが銃剣を手に睨みを利かせると、一様にたじろぐ。
「も、もう知らねぇ。ずらかるぞ」
「おう。俺も」
「ま、待てよ、畜生ッ」
『頭』を失った末端兵たちは、我先にと街の入口へと逃げ出していく。後には連中が立てた砂埃ばかりが残った。
「逃がしちゃっていいの?」
「良くはないけど、今は『頭』を潰すのが先だからな」
リルカにそう言ってから、給水塔を仰ぐ。
「それより、あの人を」
アシュレーは梯子を上り、足場で倒れているカノンを看た。
「気絶しているだけか。……いや」
顔色が悪い。身体のあちこちにも出血が見られた。
「リルカ、回復魔法を」
「えぇ? でも、このヒト」
後から上ってきたリルカが眉を顰める。この凶祓には塩の原野で襲われたのだから、無理もない反応ではあるが。
「この人はオデッサじゃない。あのときも依頼されてやっただけなんだろう。現に今はこうしてジュデッカと──」
「はいはい。わかったよ、もう」
美人だから助けるんだよねと、僻み口調でパラソルを構える。ちっともわかっていない。
呪文が唱えられ、傘の先端から放たれた光がカノンの身体を覆った。
ところが。
「あ、あれ?」
「どうした?」
聞き返すと、リルカはパラソルを下ろして焦り始めた。
「魔法が……効いてない」
光が消えても凶祓の顔色は戻らず、出血も止まらなかった。
「失敗したんじゃないんですか」
「失礼な。いくらわたしでも、こんな簡単な魔法間違えないって」
ティムに侮られてムッとするリルカをよそに、アシュレーは横たわる彼女を凝視する。
先程からずっと、漠然とした違和感を覚えていた。そこに倒れているのは人間なのに、なぜか人間ではないと頭のどこかが否定している。
「……あ」
そして、その理由に気づいた。腿の内側を伝う血を指で掬って、匂いを嗅ぐ。
「ちょっとアシュレー、そんな変態みたいなコト……」
「違う」
やはり血の匂いがしない。これは──油? 色も紅というより、まるでタールのように黒味が強い。
「まさか……」
義手や義足ばかりでなく、全身まで──機械化を──?
「う……」
カノンが目を覚ました。一度頭を上げてこちらに驚いた視線を向けたが、すぐに。
「あ、ぐぅッ……!」
身体を強張らせて悶え出した。激痛を堪えているのか。
大丈夫かと詰め寄ろうとしたアシュレーを、彼女は制した。
「あたしに、構うな……ッ」
「そんな、だって」
リルカが自分の口を押さえる。黒い血に塗れて全身を痙攣させる彼女の姿は、見るからに痛々しい。
「どうにかできないのか。直してくれる人は」
「死んだ」
皆、死んだのだ──と呪詛を吐くようにカノンは言った。
「生きるために、復讐を遂げるために、あたしは人の倫を外れた。これは……その報いだ」
「報いだなんて、そんな……うわッ」
憮然とするアシュレーの耳に、突如爆音が飛び込んできた。
驚いて振り返ると、爆発が起きたらしい辺りにもうもうと砂煙が上がっている。街の入口──いや、もう少し先か。
「ああもう、次から次へとッ」
アシュレーは髪を掻きむしったが、ひとまずカノンをリルカたちに任せて、様子を見に行くことにした。
ダムツェンの乾いた街並みを抜けて、入口の門を潜る。ようやく治まってきた砂煙の中に見えたのは。
「悪はもれなく殲滅じゃッ!」
お化けの着ぐるみ──マリアベル。
爆発でできたらしい窪みの中心で、居丈高にふんぞり返っている。
「マリアベルさん……何やってるんですか」
いつもながらの突拍子もない登場と出で立ちに、アシュレーは一気に気が抜ける。
「悪者退治じゃ。いかにもな悪党が押し寄せてきたのでな、問答無用で成敗してやった」
「悪者って……ああ」
改めて見ると、彼女の周囲に累々と男たちが倒れていた。先程逃げ出した末端兵だろう。どれも息はあるようだが……一体何をしたのか。
「何じゃ、オデッサの三下どもか」
やはり悪党であったかと、マリアベルは一人で納得している。確信がないまま成敗したらしい。
「それで、どうしてここに?」
「アーヴィングに頼まれたのじゃ」
巨大な南瓜ほどある頭をこちらに向けて、お化けが答える。
「委細は聞いておらぬが、至急ダムツェンに行ってほしいと拝み倒されたのでな。何でも汝らが間に合わぬ場合の代役とか」
「そういう……ことでしたか」
やはりアーヴィングは保険をかけていたのだ。あの指揮官ならば当然と思うべきか。
「汝らがいるということは、無駄足だったようじゃのう。こんな雑魚の相手だけで帰る羽目になるとは」
不本意じゃと文句を呟きながら、マリアベルは近くの岩陰に停めてある滑空機へと向かう。このままシャトーに戻るつもりらしい。
「……いや、ちょっと待ってください」
そこで、アシュレーは思いついた。
彼女はノーブルレッド──機械に精通している種族だ。もしかしたら。
「看てほしい人がいるんです。来てください」
お化けは振り返り、大きな頭を傾けた。
「ひとまず応急処置は施した」
用意された椅子に大儀そうに腰を下ろすと、マリアベルはそう切り出した。
「各パーツの劣化と、それに伴う接合部分の神経への浸食が痛みの主な要因じゃ。無論、それだけではないがの」
水色のドレスに黒のマントという装いのノーブルレッドは、説明しながら視軸を横に移す。着ぐるみは日没後に脱いだらしく、今は抜け殻が部屋の隅で草臥れている。
その紅玉のような瞳が見つめる先で、カノンは眠っていた。苦悶の表情もようやく消え、ベッドの上で静かに瞑目している。
ダムツェンの通りに面した酒場『ガンナーズヘブン』。カノンに世話になったという店主の計らいでこの店の二階に彼女を運び、マリアベルに処置を頼んだ。二時間にも及んだ治療は先程ようやく終わり、アシュレーたちはその結果を聞いているところだった。
「痛みは引いたんですか」
「応急処置と言ったじゃろう。原因であるパーツを直さねば、すぐにまた痛みがぶり返す」
そう答えてから、両脇に控えていたトニーとスコットに命じて扇子で煽がせる。二人は彼女の助手として直々に呼び出されたらしい。
「直すことは」
「ここでは無理じゃ。ボフールの工房ならば、ある程度の修理は可能であろうが──いずれにせよ完全に直すのは不可能じゃろうな」
金色巻毛を振り乱し、マリアベルはこちらに向き直った。
不可能──なのか。
「わらわはノーブルレッド。シルエットアームは専門外なのじゃ」
アシュレーの表情を読み取って、彼女が言う。
「シルエットアーム?」
「即ちARMを用いた人体の拡張再生。この技術──シルエットアームは、元々エルゥ族が開発したものじゃ」
彼奴らは生体を弄ることにやたら執心していてな、と彼女はとっぷり暮れた窓の外に目を馳せる。
「人造人間なども熱心に研究しておった。それゆえ機械は道具に留めるべきとするノーブルレッドとは、意見の対立で度々論議になったものだが……まあ、どうでもいいがの」
再び部屋の中に視線を戻して、仕切り直す。
「ともかく、この技術はわらわの手に余る。義肢や義眼くらいは直してやれるが、臓器の一部まで半ば機械化しているとなれば……お手上げじゃ。下手に触れば命に関わる」
「臓器まで……」
やはり、あの血液の色は……そういうことか。
「ほとんど機械の人間か。すげぇなぁ」
トニーが煽ぐ手を止めて、カノンをまじまじと眺める。ARM技師を志す少年としては興味深い対象なのだろう。
「ちっともすごくないよ」
後ろの空きベッドの上で膝を抱えながら、リルカが口を尖らせる。
「女の人の身体を切り刻んで、引っこ抜いて、そっくりの機械を埋め込んだりして……いったい誰がそんな酷いコトを」
「私が、望んだことだ」
いつの間にかカノンが目を覚ましていた。全員の視線が注がれる中、薄く開けた目で天井を眺めながら、独り言のように言葉を紡ぐ。
「生きるため、魔を祓う力を得るために、私は肉体と引き換えに武器を手に入れた。ヴィクトールは私の望みを叶えたに過ぎない」
「ヴィクトール?」
「その筋では名の知れた、潜りの技術者じゃ」
アシュレーの問いにはマリアベルが答えた。
「わらわも多少面識はある。陰気で何を考えておるのか判らぬ男だが、ロストテクノロジーの知識と腕は確かのようじゃった」
その男が、カノンにこの技術──シルエットアームを施した。
だが。
「その人は」
「数年前に死んだと、風の噂で聞いた」
皆、死んだのだ──。
給水塔の上でも彼女はそう言っていた。
「現在のファルガイアでシルエットアームを扱える者は、あの男くらいじゃった。彼奴亡き今となっては、完全に直すのは」
不可能──ということか。
「直らなくても構わない」
カノンは身体を起こし、義眼を剥いて言った。
「戦う力さえ戻れば、それでいい。だから──」
「先も言ったがARM部分の修復は工房で可能じゃ。しかし生体部分がこのままでは、動作させる度に身体に大きな負担がかかる。寿命を削って戦うようなものじゃ。大人しくしていれば数十年は保つというのに、汝は……」
「あたしはッ」
戦えなければ、この世界に留まる意味がない。
彼女はそう叫んで、義手でない方の拳を固めた。
「君は……どうして、そこまで」
アシュレーが言いかけたとき、部屋の入口で気配が動いた。
「聖女の血の宿命──かな。いささか捩じれている感はあるが」
開け放たれた扉の前に現れたのは、顔色の悪い貴族の男。
「アーヴィング……」
長い銀髪を靡かせ、松葉杖を突いて部屋に入ってくる。傍らには例のごとくアルテイシアが付き添っていた。その兄妹の風体に、入口で見守っていた酒場の女店主が目を丸くする。
「このような形で会うことになるとはな」
ベッドの横に立ったアーヴィングは、カノンを見下ろして言った。
「触れてほしくない話ならば、止めておくが」
「別に構わん。今の私には関係ない」
ベッドの上で凶祓は顔を背ける。
この二人。面識が──あるのか。
焦れたアシュレーが問い質すと、指揮官は会うのは初めてだがと前置きした上で、答えた。
「凶祓のカノンについては、ARMS結成時に隊員候補としてリストアップしていた。所在不明で結局コンタクトは叶わなかったが、素性は把握している」
凶祓の……素性。それは。
「彼女の本名はアイシャ・ベルナデット。ヴァレリアの分家に当たるベルナデット家の令嬢だ」
ヴァレリアの分家。アーヴィングたちの遠縁か。
つまり、彼女にも『剣の聖女』の血が──。
「カノンさんって、貴族だったんですか」
「彼女自身にその記憶があるかは──どうかな」
銀髪の貴族がベッドの凶祓に話を向ける。カノンは諦めたように鼻で息をつくと、少しずつ語り始めた。
「物心ついたとき、既に私は瓦礫の中だった」
襤褸切れ一枚を身に纏い、がらくたを組んで作った塒に住み。
母親と二人で、食うや食わずの生活をしていたという。
「なぜ貴族がそのような窮状に陥ったのでしょうか」
マリアベルの肩を揉みながら、スコットが疑問を挟む。
「私も生まれる前の話なので詳細は知らないが、どうやら分家同士で大きな政争が起きたらしい。醜い権力争いと謀略の果てに、ベルナデット家は他の分家に取り込まれる形で潰れた」
体よく他家に滑り込んだベルナデットの者はほんの一握りで、その多くは財産も家も奪われ、散り散りとなったという。彼女の母親も、そうした経緯で身を落としたのだろう。
「英雄の一族が……そんなことを」
アシュレーは愕然とする。
「英雄だったのは『剣の聖女』唯一人だ。その一族と言っても、単に彼女と同じ血筋というだけに過ぎない。なまじ英雄の末裔として持ち上げられ、分不相応な権力を持ってしまったゆえの悲劇──なのかもしれないな」
半ば自虐的に、アーヴィングは述べた。
「あの女は、それでも聖女の末裔であることに拘っていた」
高貴な身分であったことを忘れるな。
英雄の血を引いていることを忘れるな。
彼女は母親に繰り返しそう言い聞かされて、育ったのだという。
「認めたく……なかったんでしょうね。お母さんは、今の自分を」
ティムが虚ろな表情で言った。アシュレーも同じことを思う。
落魄れた現在から目を背け、過去の栄華に縋ることでようやく自我を保っていた──そんな状態だったのかもしれない。
だが、子供にしてみれば堪ったものではないだろう。忘れるなと言われても、そのような栄華とは程遠い生活しか知らないのだ。苦痛でしかなかったことは想像に難くない。
だから逃げた、とカノンは続ける。
「事故で大怪我を負った際に、私はヴィクトールに助けられた。それ以来、あの女のところには戻っていない」
どんなに頑張っても。穢い世界で懸命に生きていても。
母は穢い自分を、ちっとも見てくれなかった。だから。
一人で生きると──決めた。
「前に、歳を数えたのは十一までって、言ってましたよね」
抱えた膝に顎を載せながら、リルカがぽつりと言う。
「つまり、そのときが」
歳を数えた最後……十一歳だった、ということか。
そんな幼い頃から、彼女は──。
「ヴィクトールによって私は命を取り留め、怨念を糧に生きる亡霊となった。──だが」
義眼に力が籠る。その表情に、アシュレーは鬼気迫るものを感じた。
「非力のままでは、この世界に留まることはできない。だから私は肉体を犠牲にして力を得た。ただの小娘が魔を祓う力を身につけるには、これしかなかった」
魔を祓う──聖女の末裔としての宿命。
「君はそれを……恨んでいたんじゃないのか」
母親の目を曇らせた、英雄の血筋。それから逃れたくて親から離れたのではなかったのか。
なのに、どうして今更……宿命などに従う。
「逃れたくとも、私の中には確かに聖女の血が流れている」
カノンはそう言ってアーヴィングを、アルテイシアを見た。
彼らもまた、聖女の血を引きし者たちである。
「じゃあ、機械化したのは、聖女の血を捨てるため……?」
ティムの推測を、アーヴィングが笑みを含ませつつ否定する。
「聖女の血、というのは比喩に過ぎないよ。シルエットアームを施したのは単純に戦闘力を求めた結果だろう」
「それなら、どうして」
この凶祓は、宿命に拘るのか。
アーヴィングは愁いを帯びた目で、彼女を見つめている。
思えばこの男もかつて聖女の宿命に従い、挫折した経緯を持つ。ならば彼女の胸中も──察しているのかもしれない。
アシュレーの視線に気づいた彼はひとつ嘆息し、仕方ないというふうに口を開いた。
「彼女は敢えて宿命に翻弄される振りをして、英雄を──演じていたのではないかな」
「英雄を……演じる?」
カノンに反応はない。アーヴィングは続ける。
「『宿命に殉じる英雄の末裔』として、生身の体を捨て、人間であることの矜持を擲ってまで戦い続ける。それによって」
宿命に振り回される皮肉を、その愚かしさを。
自身の姿で──体現する。
それが彼女の、聖女の血に対する──
復讐。
「なに、それ」
リルカが悲鳴のような声を上げた。
「そんなことのために、自分の身体を継ぎはぎして、痛めつけて……どうして、そんな」
聖女の宿命って何なのと、少女は頭を抱えて、膝の間に顔を埋めた。ティムも、トニーやスコットたちも、まさしく亡霊に行き遭ったような表情でカノンを見ている。
呪うのは、自身の運命。
恨むのは、宿命をもたらした元凶。
だから彼女は、魔を祓う。
捩じれた使命感を、鋼鉄の胸に宿して──。
「私には、戦うことしか残されていない」
カノンはベッドの上で独白する。
「戦場で力尽き、絶望の中で朽ち果てるそのときまで、私は聖女の末裔としての戦いを続ける。それが亡霊となった私が世界に留まる……唯一の理由だ」
その義眼の奥に灯るのは、確固たる意志と、燃えるような──狂気。
もはや、止められないのか。
誰もが言葉を失う中、アシュレーはアーヴィングを見る。
同じく聖女の血に翻弄されたこの男は、何を思う。
そして、どうする──。
「たとえ、捩じれた使命感であったとしても」
沈黙を破った指揮官は、松葉杖を突いて移動を始めた。
「表面上は聖女の宿命に従い、使命を果たしていたことには変わりない。そして、それによって君は──多くの人を救ってきた」
「なん……だと?」
虚を突かれ、カノンは面を上げた。アーヴィングは部屋の入口で立ち止まり、廊下にいた誰かに目配せする。
彼の前に進み出たのは、給仕の身形をした娘。長い金髪を頭に巻いた布で纏めている。
「カノンさん……で、よかった、ですよね」
娘は周りを気にしつつも、おずおずとカノンに近づく。
「ウチの店員だよ」
廊下の方から女店主が補足する。
「あんたに二度も助けてもらったから、ぜひ礼がしたいってさ」
「礼?」
当惑する凶祓をよそに、酒場の娘はベッドの横に膝をつき、義手ではない右手を取ると。
「やっと、言えました」
ありがとうございますと、瞳を潤ませて言った。
「わたしも辛いことが沢山ありました。何もかも諦めていた。でも、ルカさんやあなたのお陰で……生きる希望を持つことができました」
両手で彼女の手を包み込んで、娘は思いを伝える。
「あなたもどうか、どうかお身体を大事に──希望を捨てず、この世界に生き続けてください」
わたしはいつでも、あなたを案じています──。
娘はそう告げて、手の甲にそっと唇を落とした。背後ではリルカがなぜか真っ赤になっている。
そして、彼女も。
「わ、私は──」
動揺を見せる凶祓に、アーヴィングは珍しく優しい声色で言う。
「君は亡霊などではないよ。亡霊に人を救うことはできない。ましてや──涙を流すことなど」
その言葉で初めて、アシュレーは気がついた。
彼女の左眼。鉄の眼帯で隠れた、その内側から。
一筋の涙が零れ落ち──頬を伝っていた。
「残された数少ない生体……その左眼を、君は傷つかぬよう大切に守っている。それが何よりの証拠だ」
心のままに、誰かを救い。
誰かに慕われて。
失くしたくないものさえ、秘めている。
怨念に囚われていても。肉体を捨てたとしても。
その想いがある限り、彼女はこの世界で生きる──人間だ。
ならば。
「カノン。提案がある」
僕らは、同じだ。
「君が戦いを続けるというのなら……ARMSに来ないか」
カノンが義眼をこちらに向ける。アシュレーは続けた。
「君はダムツェンの人を助けて、ジュデッカとも戦った。元々隊員候補だったというし、参加する資格は充分にあると思う」
相変わらず敷居が低いなぁ、とリルカがぼやく。その敷居の低さで彼女も入れたようなものだと思うが。
「私は……慣れ合うつもりはない」
カノンはそう言って視線を逸らしたが、表情には明らかに変化が見られた。
「ならば、私が雇おう」
その変化を、我らが指揮官が見逃すはずもなく。
「君は渡り鳥なのだろう。このアーヴィングが個人的に依頼するのならば文句はあるまい」
「……依頼内容は」
「オデッサ壊滅作戦への参加。及びアシュレー・ウインチェスターの監視」
「え?」
不意に自分の名前が出てきて、アシュレーは面食らう。
「オデッサの依頼を受けたのも、それが目的だったのだろう。彼の中に宿る魔神──ロードブレイザー。聖女の宿命に従うのであれば、確かに看過できない存在だ」
「ち、ちょっと。なに焚きつけるようなこと」
思い出したとばかりに彼女から鋭く睨まれて、アシュレーは背中に冷や汗をかく。
「彼が魔神を制御しきれなくなった場合は──君に止めてもらいたい。同じ聖女の血を引く者としての頼みだ」
それでいいね、とアーヴィングはこちらにも確認を求める。
──まったく。
アシュレーは指揮官に向けて肩を竦め、それから腹を決めて。
「よろしく頼むよ」
新たな仲間に向けて、手を差し出した。──が。
「監視対象に頼まれる謂れはない」
「そ……そうか」
すげなく握手を拒否されて、気まずいまま手を引く。
「フラれましたね、アシュレーさん」
ここぞとばかりにスコットが言う。トニーも隣でニヤニヤしていたので、アシュレーは引っ込めた手をその生意気な頭に落としてやった。
今日は何だか自分ばかり損している。そんな気もした。
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