小説 WILD ARMS 2
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序章
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第一章
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第二章
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第三章
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第四章
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第五章
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第六章
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第七章
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第八章
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終章
背後からの声に、コレット・メイプルリーフは畑仕事の手を止め振り返った。
「長様がお呼びだ」
腰を曲げた老人が仏頂面で立っている。
北にある岩場の傍に住む老人だったろうか、それとも東の山小屋の樵か。人の顔を憶えるのが苦手な彼女は、誰なのか判然としないままか細い声で返事をした。
老人はそんじゃあなと無愛想に言ってから、東の森へと歩いていく。どうやら後者だったようだ。
コレットは作業を中断して、桶に汲んでおいた水で手を洗った。乾いた布で手を拭きながら、水面に映る自分の顔を眺める。
桶の中の少女は、不安そうにこちらを見つめ返していた。束ねた金髪が顔の両脇から垂れて、不安定な振り子のように揺れている。
──いよいよ、か。
心臓が高鳴る。締めつけられるような苦しさを感じて、その場に蹲った。
どうして。
どうして、わたしだけ。
どうしてわたしだけこんな思いをしなきゃいけないの誰に聞いても答えてくれないイヤだと言うことも許されないこんな酷いことをわたしひとりに押しつけて──ううんやっぱりこれはわたしのワガママなのかもしれないでもやっぱり恐いしイヤだわたしは──
わたしは。
まだ──生きていたいのに。
思考の波が引いてから、彼女は徐に立ち上がる。
そして目尻に浮いた涙を拭うと、里長の屋敷へと向かった。
幼い頃からずっと、口数の少ない子供だと思われてきた。
実際、表に出る言葉はごく短い返事や相槌ばかりで、自分の気持ちをそのまま発することは滅多になかった。あれがしたい、これが欲しい、どこへ行きたい──多くの子供が口にするそうした言葉を、彼女は言った記憶がなかった。
子供らしい欲求がなかった訳では決してない。それを誰にぶつければいいのかが──わからなかっただけである。
彼女には親がいなかった。物心ついた頃から、彼女は里の住人たちに世話をされてきた。親代わりというような人もおらず、住人全てが等しく距離を置いて彼女と接していた。
我儘を言えるような大人が近くにいない。だから彼女は、あらゆる欲求を自らの内側に閉じ込めるしかなかったのである。
そして、内側に無理やり押し込め、袋にめいっぱい詰め込んだ荷物のようになった感情は──しばしばはち切れて思考の混乱を引き起こした。
きっかけは些細なことである。決断を躊躇したり、状況に少しでも戸惑ったりしたとき、それは不意に起きる。突如として頭の中をとりとめない思考が駆け巡る。怒濤となって押し寄せる。
──そう、いつも。
いつもこんなことばかりで。
どうしていつもこんな余計なことばかり考えているんだろうだから返事も遅れるし鈍くさい子だって思われてしまうのにでも考えなきゃ言葉も出てこないんだから一生懸命考えて言葉を選んでちょっと違うかなって思い直してまた考えてこれで行こうと思いかけたけどそもそもこんなコト言って大丈夫なんだろうかって心配になって──。
のべつ、この調子である。
自分では無口だとも大人しいとも思っていない。言いたいことは山ほどあるし、大人に反発したいときだってある。けれども感情をぶつける相手がいなかったことで内側に溜め込む癖がついてしまい、その溜め込んだ思考に自分自身が翻弄
されて、結局ろくに主張できずに終わってしまう。
コレット・メイプルリーフは、そうした少女であった。
誰からも愛情を受けられず。それゆえ自分から何かを求めることもできなくなり。
ただ周囲に流されるまま──彼女はこの里で十二年間、生きてきた。
──まるで、家畜のように。
そう。
ほんとうに、家畜だったのだ。
住人たちが必要以上に彼女の世話を焼かなかった理由。それを知ったのは、つい最近のこと。
深く関われば情が湧く。情が湧けば──別れが辛くなる。だから彼らは、そうならないよう距離を置いて接してきたのだ。
理不尽な話だった。けれども、既に飼い慣らされた彼女に抗うことはできなかった。
わたしは。
死ぬためだけに──生まれてきた。
「覚悟は──できたか」
机の向こうで、嗄れた声が訊ねる。
里長の屋敷である。
太い丸太を伐り出して作った机を挟んで、コレットは長である老人と向き合っていた。
彼女は膝に置いた自分の手を見つめたきり、押し黙っている。痺れを切らした長が続けて言った。
「辛いだろうが、決心してもらわねばならぬのだ。もう幾許も時間はない。我らのため、そして世界の為に──」
その先は口にしなかった。卑怯だとコレットは思う。
そんなに言うなら、無理矢理仕立て上げてしまえばいいのに。
自分は家畜なのだ。強制されれば従うより他ない。彼女としても、その方がずっと楽だった。
だが、それでは駄目──なのだそうだ。
「生半な意志では『柱』たり得ぬ。ガーディアンは認めてくださらぬ。強き意志を以て臨まねば、全てが無駄になってしまうのだ」
強い意志。
そんなもの……持てるわけがない。
世界のためだと長は言う。けれど彼女はこの里から出たことがない。彼女にとって世界とは、この狭苦しい集落のことなのだ。
わたしの世界には──何もない。
冷たくされたことはないけれど、その代わり温もりも感じたことはない。柵で囲われた世界は苦しみや哀しみとは無縁だったけど、同時に嬉しかったり楽しかったりすることもなかった。
無味無臭。渇ききった、わたしの世界。
こんなもののために、自分の命を捧げたくない。だけど。
逃げ出すことも──できない。
家畜には、自由に生きる権利なんてないんだ。
──厭だ。
こんな世界なんて。
絶望が。
ひたひたと彼女の胸を満たしていき。
あらゆる思考が澱となって沈み込む。
彼女は、顔を上げた。
こんな世界──ぜんぶ、どうでもいい。
涙で歪んだ長をきっと見据えて、コレットはその言葉を吐き出そうした。
しかし。
「長様ッ」
屋敷の扉が開け放たれて、村の男どもがなだれ込んできた。
「見つけましたッ。や、やっと」
「何だと?」
長は腰を浮かせる。
「見つけたんです。サブリナの、子を」
──サブリナ。
それは、その名前は。
「ま、間違いないのか?」
目を剥いた長が問うた。男の一人がコレットの横で机に手をつき、息を切らせながら答える。
「はい。タウンメリアの孤児の中に、サブリナの杖を持っていた子供が。面差しも生き写しのようで」
間違いありませんッ、と男は唾を呑み込んでから断言した。
「そうか……」
蓄えた髭を撫でながら長は思案した。
「これもガーディアンの啓示と考えるべきか……。ならば」
何としても連れ戻せッ、と老人は泡を飛ばして命じた。男どもは大慌てで屋敷を飛び出していく。
「やはり守護獣様は我らを見放してはおらなかった。これで……全てが」
目を細めて、長は譫言のように呟いている。
騒ぎの中で取り残されたコレットは、ひとり茫然としていた。
サブリナ。確かそれは、前の『柱』だったという人だ。その子供が戻ってくるということは──。
わたしは……助かったの?
でも、代わりにその子が。
少女は胸を押さえて俯く。
希望と罪悪感。ふたつの気持ちが交錯して。
彼女の思考は止めどなく、いつものように頭の中でぐるぐると渦を巻き始めた──。
タウンメリアの上空に、その機影は迫っていた。
翅を広げた昆虫を思わせる巨大な機体。下部には砲身と思しき筒も取りつけられていた。速度を緩め、青空を滑るように街へと近づいてゆく。
飛空機械バルキサス。スレイハイム戦役では無益な争いに利用され、そして今またテロリストによって望まぬ復活を遂げた、古代の遺産である。
と、不意に左翼の付近で爆発が起きた。衝撃で機体がぐらつく。
中型ARMの一撃。放ったのは、飛空機械と並ぶように飛んでいた鳥──いや。
鳥のような機械仕掛けの乗り物だった。広げた両翼の上に立ち、煙の立ち上る筒を構えているのは。
「ふむ……やはりこの程度のARMでは歯が立たんか」
お化けの着ぐるみ──否、ノーブルレッドの少女マリアベル。武器を肩から下ろし、人形のつぶらな瞳でバルキサスの様子を窺う。
衝撃は与えたものの、左翼には傷ひとつついていなかった。あちらはロストテクノロジーの粋を集めた飛空機械。一方こちらは簡易的な動力のついた滑空機に、人間の造ったARM。格の違いは歴然としている。
「せめて機関にダメージを与えられれば……おっと」
機首がこちらを向いた。気づかれたか。
すぐさまマリアベルはハンドルを握って機械の鳥を旋回させる。
「まったく、ファルガイアの支配者たるわらわが何故このようなことをッ」
悪態をつきながら、巧みに鳥型の乗り物を操作して追尾する飛空機械から逃げ回る。時折ARMで反撃も試みたが、やはり牽制以上の効果はなかった。
「おのれ、この鬱陶しい被り物さえなければ、あんな機械のひとつやふたつ──」
お化けの内側で歯軋りしつつ、滑空機を横に傾けて制止をかけた。すると。
正面に──機首の先端が。下部の砲身が鋭く煌めく。
「拙いッ」
放たれた光の砲撃は、身体を捻って寸前で躱した。だがそのせいでバランスを崩し、滑空機から転落しそうになる。
マリアベルはハンドルにしがみついてどうにか体勢を立て直した。そして再び飛空機械を見据えて、鼻を鳴らす。
「ふん、物騒なモノをぶら下げおって。じゃが──」
ハンドルを捻って急発進させる。そして空中で大きく弧を描いて転回すると、バルキサスの真下に潜り込んだ。
「所詮、人間の浅知恵じゃッ!」
一旦ハンドルを放し、鳥の背中で足を踏ん張りARMを頭上に構える。狙うは、あの砲身。
彼女の知っているバルキサスは単なる輸送機であり、武器など搭載していなかった。つまり、あの部分は人間どもが戦争に使うため後から取りつけたものだ。
人間の作ったものなら──攻撃も通じる。
ノーブルレッドの放った一撃は見事に命中し、飛空機械の砲身を粉砕した。
「見たか、古の遺産を冒涜する輩めッ」
マリアベルは舵を取り直してその場から離れた。距離を置いたところで速度を落とし、飛空機械を顧みる。
停止はしていたが、高度を落とす様子もなかった。やはり破壊されたのは砲身のみで、機体そのものにダメージは行かなかったようだ。
「……まあ良い。ひとまず攻撃手段は潰したからの」
後はこのまま時間を稼げば──。
「む?」
バルキサスが異なる動きを見せた。
後部の尾翼付近の一部がゆっくりと開かれ、内部が露わになる。どうやら格納庫らしいが。
何かが──いる。
眩いばかりの光を放つそれが、のそりと這い出て、機体の中から飛び出してきた。
「ぬおッ!?」
それは光の翼を持った──怪鳥だった。高々と舞い上がり、マリアベルの頭上で滞空する。
鳥というより翼竜に近いか。長い首は鱗に覆われ、脚の鉤爪は鎌のように鋭利な曲面を描いている。獰猛な口を開け、獲物を捉えた獣の目でこちらを見下ろす。
襲撃を予感してマリアベルが回避にかかった、そのとき。
悲鳴のような音が耳を劈いた。
啼き声か。いや──音は翼から出ている。
目視できないほど高速で、翼を震わせている。
それに気づいた、次の瞬間。
「なッ──」
衝撃波が襲った。突風に巻かれた紙切れのように吹き飛ばされる。
乗っていた滑空機も一瞬で翼を折られて砕かれ、マリアベルは上空に投げ出される。
真っ逆さまに落下しながら彼女は悔しげに舌打ちをし、それから背負っていた布袋から出ていた紐を引く。
展開した布袋が傘のように広がり落下速度を緩ませる。パラシュートだったようだ。
「おのれオデッサめ、また卦体なモノを召喚しおって」
傘の下で、脱げかかった着ぐるみの頭を直しながら、憎々しげに呟いた。
そして──背後の上空を仰ぐ。
「ふん。ようやく来おったか」
別の機影が見えた。バルキサスよりも遙かに大きい。
いや、大きいどころか──。
「わらわがここまで膳立てしてやったんじゃ。仕挫ったら承知せぬぞ」
青空を悠然と滑空してくる、それは。
白亜の館──ヴァレリアシャトー。
アシュレーは唖然としていた。
文字通り、開いた口が塞がらなかった。
「アーヴィング、こ、これは一体……」
指揮官はそんな彼を見て、したり顔で笑う。
「言っただろう。飛空機械に対抗する手段を用意していると。これが──答えだよ」
ヴァレリアの館の、最上階。元はダンスホールのような場所だったのだろう。広々とした大部屋は数十人が一堂に会しても余りあるほどだが。
今はアシュレーたちを含めても数人のみ。その代わり何かの装置や計器の類が所狭しと立ち並んでいた。
アーヴィングはホールの中央、急拵えの指令台に立ち、今は計器を見張っている女性に指示を出している。アシュレーたち実働隊はその背後に固まって立ちつくしていた。
「な、なんか足元がふわふわして……気持ち悪いぃ……」
リルカがアシュレーにしがみついて言う。
無理もない。
彼らは。いや、この館は、今──。
空を飛んでいるのだ。
──三十分ほど前。
バルキサス襲来の報を受け、大至急ヴァレリアシャトーに帰還したアシュレーたちは、そのまま地下へ行くよう指示を受けた。
言われるままに昇降機で最下層へ降りたアシュレーは──息を呑んだ。
地下は広大な空洞になっていた。天井は電灯の光が届かぬほどに高く、いくつもの太い金属の柱で支えられている。昇降機の出入口は空洞の中程にあり、吹き曝しの通路が反対側の壁まで延びていた。
貴族の館の中とは思えない。まるで工場だ。
呆気に取られていると、壮年の男と栗頭の少年がやって来て彼らを出迎えた。男は機関長のガバチョだと名乗り、ここは自分が管理する機関室だと紹介した。
要領を得ないまま、アシュレーたちはガバチョ機関長の案内で通路を進み、さらに下層へと移動する。
降りた先にあったのは──巨大な樽のような形をした電動機。エマ・モーターという名の動力機関であるという。
その傍らには先回りしていた少年が待っていた。息子のエベチョチョですと栗頭を下げて挨拶し、それから彼らが持ち帰った鉱石を催促した。
機械の動力源となるエネルギー結晶体──ゲルマトロン鉱石。採取したのはこの施設で使うためだったらしい。
と、いうことは──。
エベチョチョが鉱石を電動機に直結している金属の箱に放り込む。続いて機関長が壁際の装置に立ち、操作を始めた。
モーターが唸りを上げ、そして。
地面が激しく揺れた。
あまりの振動に腰を屈めて身を固くしていると、今度は重力を感じた。昇降機で上に昇ったときのような──。
浮上しているのだと、そこでようやく気づいた。
つまり、この──ヴァレリアの館そのものが。
飛空機械だったのだ。
「まったく……とんでもないな、貴方は」
アシュレーは頭を振りつつ、呆れ半分に感服する。
自分の館を飛空機械にする。そんな突拍子もない発想を本気で企み、しかもこの短期間で実現してしまうとは──。
「一から機械を作るよりも、この方が早いと考えたまでだよ。それにしてもアーミティッジ女史のサポートなくしては実現できなかった」
ロストテクノロジーに精通しているという、古の種族ノーブルレッド。彼女と手紙を交わし招聘したのも、このためだったということか。
「そういやマリアベルさん、見かけないね。どこにいるんだろ」
リルカがアシュレーから離れて言う。少しは揺れに慣れたようだ。
「彼女にはバルキサスの足止めを頼んでおいた。こちらが行くまでの時間稼ぎだね」
「け、けっこう危ないコトさせてるんですね、大事な技術者なのに……」
目を丸くする少女に、信頼している証だよと指揮官は尤もらしいことを言う。
「指揮官、バルキサスの位置を確認しました」
装置の前にいた女性がアーヴィングに報告する。
「ポイント326-452を三ノットで北北西に移動中。タウンメリアまでは五キロ余りですが、ほぼ停止しているものと思われます」
声に聞き覚えがあったので、アシュレーは首を伸ばしてそちらを覗き込む。
涼しい目許をした若い女性だった。水色の長髪に青のワンピーススーツ。こちらの視線に気づくと軽く会釈してみせた。
「お目にかかるのは初めて、ですね、アシュレーさん」
「あ……ああ。君が」
通信の中継を担っている──テレパスメイジのケイト。アシュレーと同じくらいの歳だろうか。思っていたよりもかなり若い。
「先程は失礼しました。その……どうにも」
慌てると駄目なもので、とケイトは恥ずかしそうに言った。観測施設を出た直後に受けた通信で、彼女はひどく取り乱していた。おかげで状況を把握するのにやや手間取ってしまったのだが。
「またご迷惑をかけるかもしれませんが、改めてよろしくお願いします」
「あ、ああ、よろしく」
はにかんだ笑顔に、ぎこちなく返事をする。妙齢の女性の視線はどうも苦手だ。
「あー、ケイちゃんだけずるいッ」
奥の方から、やはり通信で馴染みの声が聞こえた。計器の上に身を乗り出し、ぶんぶん手を振ってアピールを始める。
「ミーちゃんもいるよー。よろしくねアシュレー君」
こちらは薄桃色の髪を肩で切り揃え、色違いの橙のスーツを着込んでいる。鼻梁のあたりにはそばかすも浮いており、ケイトよりもさらに幼い印象を受けた。
「言っとくけどね、あたしの方がケイちゃんより年上だよ」
思ったことが顔に出ていたのか、エイミーはそうつけ加えた。
「ケイちゃん老け顔だから困っちゃうよね」
「老け顔言うなッ。あんたが子供っぽいんでしょうが。……あ、そ、それでは失礼しました」
指揮官とアシュレーにぺこりと謝ってから、ケイトは持ち場へと戻っていった。
「なんでテレパスメイジの人たちが、ここに?」
リルカが聞く。
「航行の際はこちらのサポートも兼務してもらっている。レーダーにはテレパスメイジの能力が欠かせないからね」
そう答えてから、アーヴィングは引き続き各員に指示を送る。
「当艦はこれより敵機へと接近する。エルウィン、バルキサスの左舷横一キロ付近で静止──できるか?」
指揮官は指令台の下を覗き込み、そこに控えていた若い男に尋ねた。
「ん、こんなデカい乗り物操ったことないっすからねぇ。やってはみるけど保証はないっすよ」
やたら軽い口調だった。エルウィンと呼ばれた操縦士は、レバーやスイッチが並ぶ操作盤の前で短髪をぼりぼりと掻いている。
「お前は……」
背後のブラッドが反応した。優男めいた彼の姿を見て目を見開き、それからフッと頬を緩ませる。
「林檎、受け取ってくれて助かったよ。おかげでこっちも大出世だ」
エルウィンも笑いながらブラッドに言う。どうやら面識があるらしい。
「見えました! バルキサス、正面です!」
ケイトの声がブリッジに響いた。全員が前方を注視する。
大きな硝子板が張られた窓越しに青空が広がっている。その中心付近に、鋼鉄の昆虫──バルキサスの後部が見えた。
「よっしゃ、左舷に回り込むっす!」
エルウィンが操作盤のレバーを一気に押し込んだ。窓から機影が消え、身体が右側に揺さぶられる。アシュレーは咄嗟に腰を落として踏ん張った。
「うひゃあッ」
一方リルカは尻餅をつき、そのまま壁まで転がっていった。
「も、もう、急に動かさないで……って、ひえぇッ!」
今度は左側に大きく揺さぶられた。ひとり遠心力に翻弄されるリルカは、アシュレーの目の前を通過して反対側の壁にぶつかった。
「当該機を再視認。約一.五キロです」
再び正面に機影を捉えた。櫛の歯のように突起物のついた左翼が陽の光を受けて煌めいている。
「よおっし、ここでブレーキ!」
「い、いい加減に……うへぇッ」
荒っぽい操縦をする若者にリルカが抗議したが、急停止をかけられて敢えなく前方へと転がっていく。
「アーミティッジ女史の姿がないが……無事か?」
アーヴィングがケイトに尋ねる。片足が不自由なはずの彼だが、絶妙なバランスで直立を保っている。魔法でも使っているのかもしれない。
「先程通信で連絡がありました。足止めには成功したが鳥の魔物にやられて離脱した──とのことです」
「鳥の、魔物?」
アシュレーが呟いた、そのとき。
前方の窓に何かが衝突した。
硝子が砕け散り、館が大きく揺らぐ。
「なッ──!?」
床に膝をつきながら、再び前方を見る。
割れた窓に何かが覆い被さっている。鱗に覆われた胴体。眩いほどに輝く翼。
「まさか……こいつが」
──鳥の魔物。オデッサが召喚したのだろうか。
「総員退避! クルーはブリッジより離脱しろ!」
アーヴィングが指示を飛ばす。ケイトとエイミー、そしてエルウィンが彼らの横を通って部屋から退去する。
「わッ、わわッ」
窓の近くにいたリルカが遅れてこちらへ逃げてくる。光の翼を持つ怪鳥はのそりと侵入して、長い首を彼女の方に曲げた。
──まずい。
アシュレーは駆け出した。走りながら銃剣を肩から外し、レバーを引く。
魔物がこちらに気づいて動きを止めた。アシュレーも止まり、銃を構えて引金を引く。
銃弾は長い首の付け根に命中し炸裂した。耳障りな啼き声を上げて怪鳥が後退する。
「そのまま押し出せ!」
指令台からアーヴィングが叫んだ。呼応したブラッドが魔物の許に走る。
マイトグローブを嵌めた拳を固めて、翼をばたつかせる怪鳥の腹部に──一撃。
突き飛ばされた魔物は再び悲鳴を上げながら、窓から転落した。
「やった……か?」
アシュレーは硝子の破片を踏みしだいて窓に近づき、下を覗き込む。
「急所を突いたが手応えはなかった。思った以上に頑丈なようだ」
横で同じように下を見るブラッドが言った。二人の視線の先──館の外庭では、怪鳥がじたばたと地面を這って藻掻いていた。打撃と落下のダメージで一時的に飛べなくなっているようだが。
「放っておけば、またこちらを襲うかもしれないな。……アーヴィング」
「ああ。魔物は君達に任せる」
我々はここを立て直さなくては、と松葉杖をついて扉へと向かう。避難したクルーを呼び戻しに行くのだろう。
実働隊の三人もブリッジを後にし、外庭へと急いだ。
途中で会った玄関番に通用口を案内されて、外に出た。上空を飛行しているため風が強い。気温も地上よりかなり低いらしく、肌が粟立った。
怪鳥は既に起き上がっていた。人間たちを見つけると嘴を開いて威嚇し、飛び上がる。
三階ほどの高さのところで静止して、鋭い眼でこちらを見下ろした。撃ち落とそうとアシュレーが銃を翳した──そのとき。
頭が締めつけられるような高音が響いた。思わず身を竦めて耳を塞いだ、次の瞬間。
突き飛ばされた。
三人はそれぞれ館の外壁に叩きつけられ、地面に転がる。
「な……なんだ、今のは」
風ではない。雷でも落ちたような衝撃が、あの鳥の翼から──。
「ソニックブームか」
片膝を立てて起き上がりながら、ブラッド。
「高速で翼を震わせて、衝撃波を放っているようだ」
「衝撃波? そんなもの……」
防ぎようがない。
「くぅ……さっきからぶつかってばっか……」
これ以上バカになったらどうしてくれんの、とリルカが壁際で頭を抱えている。
アシュレーは反転して、装填したままのARMで魔物を銃撃した。
命中はしたが、やはり決定的なダメージには至らない。
「くそッ、なんて堅いんだ」
ボフール特製の弾ですら──通用しないとは。
「頭を狙うしかないな。だが」
この距離では──とブラッドが口籠もる。
ブラッドのARMは短距離に特化している。アシュレーの銃にしても、それほど照準精度は高くない。ここからあの小さな頭を狙うのは至難の業だ。
「リルカ、魔法は?」
ARMでは無理でも魔法ならば──。
「んー……」
だがリルカの返事は芳しくなかった。
「ここからだと、やっぱり遠いよ。それに呪文唱えてる間に、さっきのアレが来るかもしれないし」
衝撃波が気になって集中できないということか。
ならば──。
「……そうだ」
怪鳥を見上げ、その周囲を見回して──思いついた。
「魔法って、窓越しでも使えるか?」
「え? ……あ」
彼の視線に気づき、意図を察したリルカは大きく頷いた。そして通用口へと駆け出していく。
「ブラッド、僕らは」
「ああ」
できるだけ、建物の近くに──。
魔物が奇声を上げて急降下してきた。鉤爪に用心しながら彼らは応戦する。
やはり空を自在に飛べる分だけ相手が有利だった。銃剣を振り回し、拳を繰り出し、苦し紛れにARMを放つが、のらりくらりと躱されてしまう。
アシュレーの最後の一発も、ひらりと体躯を翻して避けられる。そして再び上昇し、翼を広げて滞空する。
──来るか。
身構えながら、魔物の背後の壁に視軸を移す。
リルカの姿があった。館の三階の、窓越しに立ってこちらを見ている。
手にしている傘は仄かに光を帯びていた。既に詠唱は終わったか。
アシュレーが頷き返すと、彼女は窓から二、三歩離れて。
硝子板の向こうの魔物に向けて──傘を突き出した。
上空に無数の岩が出現し、魔物の背中に降り注ぐ。岩石の驟雨に見舞われた怪鳥は錐揉みに降下して外庭に墜落した。
間髪を容れずにブラッドが飛びかかった。長い首を抱えて捻り上げ、頭を地面に押しつける。
「今だ!」
暴れる怪鳥を制しながらブラッドが叫んだ。頭が締めつけられるような悲鳴に顔を顰めながらアシュレーは駆け寄り、銃剣を振り上げて。
その鶏冠の生えた脳天めがけて──突き下ろした。
頭から顎までを貫かれた魔物は幾度か痙攣して、それからがくりと事切れた。翼もみるみる輝きを失い、ただの薄汚れた羽根となって地面に横たわる。
「倒した、か……」
大きく息をついてから、魔物の頭から銃剣を抜く。それから館を見上げた。
三階の窓で、リルカは得意気にピースサインを作っている。彼女にそのままブリッジに戻るよう指示してから、再び足許に目を向ける。
巨大な鳥の骸が地面に横たわっている。どうにか倒すことはできたが。
──手強かった。
ARMがほとんど通用しなかった。かなり強化されていたはずのARMでさえ──。
「オデッサと相対するからには、このクラスとの戦闘は常に想定しなければならないな」
ブラッドが言う。同じことを考えているのだろう。
降魔の術式によって召喚される魔物。それに、あの特選隊……『コキュートス』もかなりの手練れのようだった。
もっと、強くならなければ。
武器も。そして、自分自身も──。
「攻撃するようだな」
「え?」
振り向くと、ブラッドは館の上方を見ていた。
窓の割れた最上階のひとつ下。壁に穿たれた穴から二本の金属棒が突き出ている。
「リニアレールキャノンだ」
「あ……あれが?」
最新式の電磁加速砲。メリアブール軍にも一基のみ導入されており、戦車に搭載されていたのを一度だけ見たことがあったが。
金属の先端から火花が散り、爆発と共に砲弾が射出された。あまりの速さに弾道はほとんど目視できなかったが。
遠くで衝撃音が轟いている。命中……したのだろうか。
外庭からではバルキサスの姿を確認できなかったので、アシュレーたちもブリッジに戻った。
「おっつかれ~」
中に入ると、リルカと、なぜかエイミーが出迎えた。
「ねぇねぇ。今のモンスター、どんなだった? 詳しく聞かせてほしいな~」
「は、はぁ?」
目を爛々と輝かせて詰め寄るそばかす娘に、アシュレーはたじろぐ。そこへケイトがやってきて、ポカリと彼女の頭を叩いた。
「こらッ、仕事サボって何してんの! ……すみません。この子、怪獣とかモンスターに目がなくって」
ぺこぺこ謝ると、まだ未練がましそうな相方の襟を掴んで連行していった。
「怪獣マニアなんだってさ、あのヒト」
リルカが言う。
「すごいよ、わたしたちが今まで戦ったモンスターの名前やら生息地やら、ぜんぶ知ってるの。昔の魔物の本とかも読んで、自分で図鑑まで作ってて」
変わったヒトだよねぇ、と呟くが、そういう彼女も世間一般的には変わっているとアシュレーは思う。
「ご苦労だった、アシュレー」
指令台からアーヴィングが声をかけた。アシュレーはそちらに移動し、状況を尋ねる。
「こちらの攻撃は命中したが、やはりダメージは軽微だな」
指揮官は正面を見据えたまま答える。アシュレーも隣に立って、割れた窓から上空を見遣る。
バルキサスは依然として同じ場所に留まっていた。左翼からは白煙も上がっているが、飛行不能になるほどの打撃ではなかったようだ。
「だが、牽制にはなった」
背後でブラッドが言った。
「その通り。我々が飛空機械で登場したことで、少なからず動揺は広がったはずだ。その上で魔物を退け、反撃できる装備があることも見せつけた。実際のダメージ以上に衝撃は大きい」
後は──と言いかけたところで、飛空機械が動いた。
大きく向きを変え、こちらに後部を向けて。
海の方へと──飛び去っていった。
「当該機、撤退しました」
ケイトの言葉で、ブリッジの緊張が解けた。
タウンメリアを──護れたのだ。
アシュレーは安堵する。一歩間違えば、大事な街を、大事な人たちを失うところだったのだ。
「こんなに急に襲撃してくるなんて……」
飛空機械の脅威を、まざまざと見せつけられた思いだった。
だが、今はこちらにも飛空機械がある。少なくとも今回のような勝手はできなくなるはずだ。
「指揮官、機関部のエネルギーが低下してます」
ケイトが報告する。アーヴィングはそうか、と応じた。
「こちらも帰還することにしよう。現状では飛行可能時間は限られているのでね」
指示を出すと、エルウィンは了解ッ、と小気味よくレバーを引いて旋回させる。
例によってリルカが転がっていった。
「大義であった」
其方らがいなければどうなっておったことかと、メリアブールの主は溜息を吐いた。
メリアブール城の、謁見の間。事後報告に赴くアーヴィングに伴われて、アシュレーたち実働隊もこの場に同行していた。
「先程、城下に出していた戒厳令も解いた」
国主というより豪商のような出で立ちのメリアブール王は、深々と玉座に腰を下ろし、顎髭を弄びながら言葉を続ける。
「其方らの活躍に街の者も大喝采じゃ。生みの親である儂も鼻が高い」
「痛み入ります」
アーヴィングはそう謝意を示してから、背筋を伸ばして王と向き合った。
背後に控えるアシュレーは、畏まりながら会話に耳を澄ます。
「こちらもご助力感謝致します。貴重な兵器を我々に貸借するという陛下のご英断がなければ、この度の勝利もなかったかと」
「リニアレールキャノンの件か」
役に立ったかと王が聞くと、大いにと指揮官は答えた。
リニアレールキャノン──バルキサスに向けて使用した、あの大型ARM。メリアブールからの借り物だったようだ。
「ならばあれは褒美として其方に授けよう。どうせ我らが持っていても宝の持ち腐れだ」
剛胆な発言にアシュレーは少し驚いたが、アーヴィングは平然とその言葉を受け容れた。
「一国の主としては情けない限りだが、現状ではオデッサへの対処は其方ら──ARMSだけが頼みの綱だ。今後も期待しておるぞ」
「はッ」
指揮官は、右手を胸の前に掲げて敬礼する。
アシュレーも倣って頭を垂れたが──その心中は複雑だった。
オデッサの脅威を退けたことで、メリアブールも、そしてシルヴァラントもARMSに篤い信頼を寄せるようになっている。
そのこと自体は嬉しかった。自分たちのやってきたことが認められているのだ。嬉しくないはずがない。
だが、同時に。
──いいのだろうか。
ひとつの独立部隊に国家が丸ごと頼り切っているという、この状況は──果たして正しい在り方と言えるのか──。
僅かに面を上げ、前を見る。
銀髪を下ろした貴族の背中があった。
松葉杖をついて直立し、臣下の礼を顕している──この背中に。
今や、三大国家のうち二つが──。
悪寒を覚えて、アシュレーは軽く肩を震わせた。
その寒気の理由は、最後までわからなかった。
王への報告を済ませると、そのまま今日は解散となった。
せっかくメリアブールに来たのだからと、アシュレーは城下に出て下宿に立ち寄ることにした。とっぷりと日の暮れた広場を抜け、パン屋へと続く馴染みの道を行く。
そこへ──人影が三つ。
こちらに向かって、駆けてくる。
「あんちゃーん!」
影の一つはトニーだった。となれば後ろはスコットとティムか。
「や、やっと見つけた……」
小さな少年は、アシュレーの前で止まるとぜいぜいと息をついた。
「どうしたんだ?」
「どうしたって、その、大変なんだって!」
いつになく慌てている。怪訝な顔をしていると、後ろの人影もやって来た。一つは予想通りスコットだったが。
「マリナ?」
最後の影はマリナだった。赤毛の幼馴染みは不安そうにアシュレーを見ている。
「どうしてこいつらと一緒にいるんだ?」
「それが、この子たちが店に来て……」
「アシュレーさんを捜すのを手伝って頂いたのです」
スコットが言う。こちらも心なし早口になっている。
「僕を捜してた?」
再びトニーを見ると、少年はアシュレーの腕を両手で掴まえ、切迫した目でこちらを見返す。
何か──あったのか。
察したアシュレーが低い声で尋ねると。
「て、ティムが」
「ティム?」
華奢な容姿の、内気な少年。そういえば、いつも二人といるはずの彼の姿が──ない。
「攫われたらしいのです」
動転してなかなか言葉が出てこないトニーに代わって、スコットが言った。
──攫われた?
「知らない男の人たちに連れられて、街を出ていくのを見たって。だから……」
マリナが言う。彼女も普段より落ち着きがなかった。
「ゆ、誘拐だよ」
アシュレーの腕に縋りついたまま、トニーが告げた。
「ティムが、誘拐されたんだ」
夕闇の広場で、新たな事件が静かに幕を開けた。
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序章
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第一章
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第二章
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第三章
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第四章
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第五章
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第六章
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第七章
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第八章
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終章