小説 WILD ARMS 2
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序章
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第一章
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第二章
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第三章
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第四章
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第五章
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第六章
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第七章
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第八章
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終章
漸く。
漸く思い至った。
これは、英雄ならざる者たちの戦いであると。
英雄と魔神の狭間を彷徨い惑いし者。
英雄が犯した業を一身に背負いし者。
英雄の姉に羨望と劣等感を抱きし者。
英雄たり得る為に死を定められし者。
英雄の血を恨み宿命に翻弄されし者。
英雄との別離に傷つき孤を深めし者。
そして。
英雄であるという望みを挫かれし者。
誰もが英雄などという空虚な存在に振り回され、乱されて――。
ここに、集った。
恰も英雄が一つの因果――絆であったかのように。
皮肉なものである。
真に英雄たる者は、ここにはいない。
だが。いや、だからこそ。
我らは抗わねばならない。
「それ」を証明するために。
英雄を求め続けてきた我らにしか成し得ないことである。
血反吐を吐き。
無様に這い蹲り。
打ち拉がれようとも、歩みは止めぬ。
その歩みが、あらゆる義に背くものだとしても――。
これは、英雄ならざる者の――信念の戦いである。
その迫力に、アシュレーはしばし圧倒された。
青と白の鋼板が折り重なるようにして組まれた装甲――外殻。肩から天に向けて突き立った一対の角。後部から地面に横たわる巨大な尻尾。その全てが硬質にしてしなやかな、不可思議な金属でできていた。
魔物、ガーディアン、ゴーレム……いずれの型ともまた異なる形状をした機械生物は、大地に散乱した瓦礫の中に降り立って、頭部についた翠玉の眸で足許を見下ろしている。
そこには金属の筒――『核』の格納容器が転がっていた。
〈哀れなり、グラウスヴァイン〉
鋭い牙が生えた顎を開いて、それは言った。しゃべったッと横にいたリルカが飛び上がる。
〈自己崩壊の果てに我を忘れたか。可惜命を擲ってまで――〉
頭部を動かし、こちらを向く。威圧感にアシュレーは一歩後ろに退く。
〈我が同胞を毀したのは、貴方らか〉
「あ、いや……その」
遥か上方から巨大なモノに問いかけられて、アシュレーはたじろいだ。
同胞――グラウスヴァインをそう呼ぶということは、やはり。
「ドラゴン、なのですか、あなたは」
突如、東方より飛来してきたという。
〈二万五千八百九十二年振りに同胞の反応を察知した。故に確認に来たが――手遅れであった〉
「二万年……じゃと」
後ろで立ちつくしていたマリアベルがあんぐりと口を開ける。彼女も悠久を生きる種族であるが――恐らく桁が違う。
「わらわは承知しておらぬぞッ。ドラゴンが封印すらされずに生きているなど」
〈眠っていた〉
「ね、眠って?」
〈小賢しい者共が同胞の亡骸を弄び、蔓延り出したのでな。滅ぶまで眠ることにした〉
小賢しい者というのはエルゥやノーブルレッドのことか。ぐぬぅとマリアベルが悔しげに唸る。
栄えるものは滅ぶが道理――とドラゴンは続けた。
〈何やら争いがあり、その者共は滅びたようだが、今度は別の――貴方らが〉
再びこちらを睥睨する。
〈この世界の知的生命は、何時まで経っても同じようなことしかできぬようだな。またいずれ滅ぶと思い眠っていたが――〉
首を擡げ、今度は空を見上げた。
〈どうやら、その前に世界そのものが滅ぶようだな〉
青黒く濁った空。侵食された世界。
「知っているんですか、この……異世界のことを」
異常現象を驚いていない。それどころか納得している様子ですらある。
〈我が故郷も喰われたのだ。カイバーベルトに――〉
彗星の巣――異世界のことか。
「その話は是非とも伺いたいですね」
背後から声がした。松葉杖を突いて、銀髪の指揮官――アーヴィングが歩いてくる。
「ARMS指揮官アーヴィング・フォルド・ヴァレリアです。ドラゴン――ロンバルディアとお見受けしましたが」
〈如何にも。我が名が――この時代まで伝わっていたか〉
伝承として、とアーヴィングは歩を止め、巨大な相手と対峙する。
「ギルドグラードの一部地域には、ドラゴンにまつわる伝説がいくつか残っていました。グラウスヴァインの発掘もその伝説に端を発して行われたと聞いています」
あらゆるものを灰燼に帰する核ドラゴン――グラウスヴァイン。そして。
空を駆る疾風の翼竜――ロンバルディア。
「人間が繁栄を始めたのはごく最近ですが、人類としての誕生は数万年前に遡ると言います。その時代に目撃したものが細々と伝わっていたようですね」
口碑伝承というものも侮れないものです、と指揮官は結んだ。相変わらず何でも知ってるなぁとリルカが隣で感心する。
〈成る程。弱き種族である故に生き残り、種を繋いだという訳か〉
納得したようにドラゴン――ロンバルディアは言った。声色にもやや変化が見られる。
「その人類も今や滅亡の危機にあります。手を――お貸し願いたい」
〈手を貸せとな。我に何を為せと〉
「故郷を異世界に喰われたと、先程。まずはその話を伺いたい」
〈聞いて何とする――まあ良い〉
ロンバルディアは言葉を切り、また空を仰ぐ。
〈侵食異世界カイバーベルト――あれは並行世界の中に生まれた異常世界――言わば世界を蝕む癌だ〉
決して交わらぬはずの他の世界に干渉し、接触し。
自らの理に塗り替えてしまう――。
その話はガーディアンの祭壇でガイアに聞いた内容と相違なかった。
だが。
〈我が世界も、カイバーベルトの犠牲となった〉
彼らドラゴンは元々別の世界にいた存在だったという。今のファルガイアと同様にカイバーベルトの侵食を受けた彼らの世界は、全く別の――おぞましい異形の世界へと書き換えられてしまった。
彼らは異世界の被害者……当事者だったのだ。
〈我らドラゴン種は異なる次元を遷移する能力を持つ。それにより別の世界へと避難し、この世界に落ち延びたが――〉
この世界の理に適応できなかった多くのドラゴンは死滅し。
残ったのは――。
〈我とグラウスヴァインの二体のみ。そのグラウスヴァインも愈々自己崩壊が始まり、止むを得ず我が封印を施した〉
「じゃあ、二万年もの間、ずっとひとりぼっち……だったんですね」
同情するようにリルカが言ったが。
〈なに、転寝には丁度良い時間であったよ。外が喧しくてあまり寝付けなかったが〉
やはり時間の流れ方が自分たちとは違うようだ。二万年の転寝かぁとリルカは溜息をつく。
〈して、弱き種族――人間よ〉
別世界からの来訪者は、この世界に生きる者たちを見据えて言う。
〈このカイバーベルトの侵食を食い止める術はあるのか。次元を渡れぬ貴方らは我らのように避難もできまい〉
「術がある――とするなら、ご助力頂けますか」
〈ふむ――〉
いいだろう、としばらく黙考した後に応じた。
〈我が故郷の仇――などという感傷も今更ないが、やられっ放しも癪であるからな〉
弱き種族の悪足掻きにしばしつき合うことにしよう――と、ドラゴンは金属の顎を動かして、たぶん――笑った。
妙なプレッシャーを感じながら、ティムは手元に置かれた匙を取った。
机の上には木製の深皿。貴族の館によくこんな素朴な器があったものだと思う。中に注がれた野菜と燻製肉のスープが湯気を上げている。
そして、向かいの席では。
不安そうな眼差しでじっとこちらを見つめる三つ編みの少女――コレット。
ティムが心配で、わざわざバスカーから駆けつけてきてくれたのだという。
面映ゆく感じるところもあるが、そのこと自体はとても嬉しかった。久しぶりに会えて、その上手料理まで作ってくれて。
ただ。
――ちょっと大げさだな。
アーヴィングから、数日間の絶対安静を命じられた。グラウスヴァインとの戦いで激しく消耗し吐血までしてしまったわけだから、この措置はやむを得ないのかもしれない。けれど体力の方は丸一日寝たらすっかり戻ってしまったので、それ以降はひたすらベッドの上で暇を持て余している。
少しでも外に出ようものなら叱られる。特にリルカがうるさい。未だにひ弱なお子様扱いしてくるのがティムには不満だった。以前に比べればだいぶマシになったと思っているのに、そういう扱いをされるとせっかく芽生えた自信も萎えてくる。
そこへ来て、コレットの来訪である。ただのお見舞なのかと思いきや、しばらく看病したいと申し出てきた。看病って病人じゃあるまいし。いったい彼女はティムの状態をどんなふうに説明されたのだろう。
そもそも、遠く離れたバスカーにいる彼女にわざわざ報せたのは誰なのか。
――まぁ、予想はついているけど。
横目で部屋の入口をチラッと窺う。どうせまた扉の向こうで聞き耳を立てているのだろう。
「……無理して、食べなくても……」
コレットが蚊の鳴くような声で呟いた。見ると涙目になっている。匙を握ったまま固まっていたので食べたくないと思われてしまったらしい。
「そ、そうじゃないよ。ごめん、いただきます」
慌ててスープに手をつける。一口食べてから美味しいと言ったのだけど――実際美味しかったのだけど――ぎこちなかったのか、コレットの表情は依然として冴えなかった。
もはや味わうどころではない。食事を進めながらも頭の中はどう取り繕えばいいのかということで一杯だった。
「コレットは、いつも料理しているの?」
結局、穏当なことを聞いてみたが。
「う、うん。ずっと、一人で暮らしてるから……ご飯も自分で」
「あ、ああ、そっか」
彼女の境遇を考えたら当然か。どうにも気が利かない。
「人に食べてもらうの、初めてだから……その」
「美味しいよ。自信持っていいと思う」
せめてそれだけは伝えようと、懸命に言葉を繋ぐ。
「また作ってほしいな。今度は一緒に食べよう」
「え?」
コレットは驚いたように目を瞬き、例によってたっぷり間を置いてからこくりと頷いた。
「ティムくんと……一緒に……」
頬が赤い。何か変なこと言っただろうかと怪訝に思っていると。
扉が開いた。
「はいはい、色んな意味でお邪魔しますよー」
リルカが入ってくる。彼女を先頭としてアシュレーや他の隊員がぞろぞろ続く。最後尾にはアーヴィングの姿まであり、ティムは慌てて居ずまいを正した。
「な、何ですか、みんな揃って」
狭い個室はあっという間に人で一杯になった。輪の中心となってしまったコレットがあたふたと席を外し、隅の方に移動する。
「ミーティングやるんだってさ。あとついでにネズミも退治しといた」
リルカの隣に立ったカノンが、愛想笑いを浮かべたネズミ――トニーとスコットの首根っこを摑まえている。やはり盗み聞きしていたようだ。
「ミーティング……ですか?」
どうしてここで、と聞く前にアーヴィングが進み出た。
「療養中のティム君を本部に呼びつける訳にはいかないからね。それに」
壁際で気後れしている少女に視軸を移す。
「この話はコレット君にも聞いてもらいたい」
「え……?」
コレットが目を丸くする。
「これから行う作戦はファルガイア全体の同意を要する。無論――バスカーの民も例外ではない」
彼女は夢見を受け継いでいる。立場上は長と同等――いや、彼らの行動指針を決めているという意味では長よりも上かもしれない。
「どんな作戦……なんですか」
ファルガイアの全人類の同意を得なければいけない作戦。それは。
「カイバーベルトを捕縛する」
「カイバ―……ベルト?」
「あの侵食する異世界のことだよ」
窓の外に視線を向ける。暗く凝った大地と、青黒く濁った空。
「飛来したドラゴン――ロンバルディアから先程話を伺った。彼らは――」
太古の時代にファルガイアに存在したドラゴン。その正体は、カイバーベルトに故郷を喰われた、異世界からの漂泊者だったという。
「ドラゴン種は異なる次元を移動する能力を持つという。それによりこのファルガイアへと逃れてきたらしいが」
その能力を今回の作戦に利用させてもらう、と指揮官は宣言した。
「世界を遷移する力……それを使って侵食異世界に直接乗り込むつもりか」
入口の近くで遠巻きに様子を見ていたブラッドが言う。
「だが、どう叩く。相手は」
「そう。『世界』という概念存在に対してどう戦えばいいのか。この解決不能と思われた難題に我々も手を拱いていたのだが――鍵は」
アーヴィングは横を向いた。視線の先には。
「僕?」
不意に注目を浴びて、アシュレーは眉根を寄せる。
「君の中にも概念存在がある。それも二つも」
「ああ……」
聖剣アガートラーム。そして。
魔神ロードブレイザー――。
「二つの概念は君の肉体に憑依する形で存在している。君という『器』が滅べば、内側の概念も――滅ぶ」
「つまり、カイバーベルトも何らかの物質に宿らせ、閉じ込めて」
『器』ごと始末する――。
「そんなこと……可能なのか?」
世界を丸ごと憑依させる。そんな器があるのだろうか。
「奴らが取り憑くのはすなわち『他の世界』。だからこちらで疑似的に世界を構築し、それを『器』とする」
「世界を……構築する?」
何やらまた途方のない話になってきた。
「ファルガイアを複写して即席の並行世界を作り、現行世界のファルガイアに置換する。その後にマナの牢獄『トラペゾヘドロン』によって物質化して――」
「あ、あう……さっぱりわかんないですって……」
リルカが頭を抱えて音を上げる。正直なところティムもついて行けていない。
「つまり……ダミーのファルガイアを餌にしてカイバーベルトを『釣る』ということか。相手が喰らいついたら――」
同化したカイバーベルトごと、偽のファルガイアを魔法で凝縮して――。
「『器』に――一つの生命体に落とし込む、と」
アシュレーが蟀谷を叩きながら内容を噛み砕く。おかげで朧気ながら理解できた気がする。
「まあ、そんなところだね。君たちはドラゴンの能力により疑似世界に乗り込み、内側より『器』を破壊する。そうすれば」
異世界――カイバーベルトを倒すことができる。
「理屈は解ったが――そんなことが可能なのか」
「捕縛に用いる『トラペゾヘドロン』については降魔儀式と同様、禁術として封印されていた魔法だ。もちろん様々なリスクはあるが使用に問題はない」
「問題あるから禁術にしたんだと思うけど」
このところ箍が外れてるみたいで怖いよ、とリルカがぼやく。
「疑似世界――いわゆるダミーのファルガイアについても――」
指揮官は窓際に佇んでいたマリアベルに話を向ける。
「……まぁ、可能じゃ」
窓外を見上げたまま、ノーブルレッドの少女が応じた。
「捻りも芸もない、単純な複写――張りぼてのファルガイアならば作るのは造作ない。構成するのに必要な生命エネルギーさえあればな」
言葉とは裏腹に、その横顔はどこか不満そうだった。
「生命エネルギー――マナについては、この本物のファルガイアから賄うしかない。各地のレイポイントよりマナを抽出し、ライブリフレクターに転送して大気圏外に射出展開させる」
「マナを抽出して――転送?」
「ライブリフレクターで、大気圏外に……?」
カノンとアシュレーがそれぞれ反応した。アーヴィングは二人を見て肩を竦める。
「ライブリフレクターによるエネルギーの転送ネットワーク――これは対核兵器用に構築した迎撃システムを転用する」
――ああ。
ティムも思い出した。あれはギルドグラードでの任務だったか。ライブリフレクターを利用した迎撃兵器の開発を、この指揮官はマスターに依頼していたのだ。結局グラウスヴァイン相手には使われなかったのだが。
「こういう形で役に立つとはな……」
アシュレーが呟く。ギルドグラードマスターに依頼を伝えたのは彼だった。
「そして、マナの抽出についても――」
浅葱色のコートの懐から紙の束を取り出し、机に置く。
「これを使う」
紙面に書かれていたのは、血管めいた蔦が絡みつく柱。
――魔界柱。
「なッ」
絶句する隊員たちをよそに、ARMSの長は微塵もペースを乱さず説明を続ける。
「君たちも承知の通り、魔界柱は破壊され現在は機能停止しているが、幸い地中部分の本体――マナ抽出装置は無傷だ。地上のアンテナさえ再建すれば」
「ま、待てアーヴィング」
アシュレーが慌てて止めた。
「それはオデッサ……ヴィンスフェルトが作ったものじゃないか」
「それが?」
「それがって……そ、そんなものを」
「どのような動機であろうと作られた装置に罪はないよ。彼らは空中要塞という私利私欲のために使ったが、我々は――世界を救うために使う」
全ては使う者の倫理次第である――。
前方の一点を見据えたまま、指揮官はそう言い切った。
「君たちに抵抗感があることは理解している。謗りは甘んじて受けよう。それでも――」
その言葉に、ティムはなぜか既視感を覚えた。どこかで聞いたような……。
「同様の装置を一から作っていては到底間に合わない。例え敵の作った忌まわしきモノであろうとも、今は――利用できるものは利用する」
揺るぎなき信念。そして覚悟。
確固たる決意を前にして、誰もが抗弁できず押し黙った。
「――アーヴィング」
沈黙を破ったのは意外にもブラッド。アーヴィングが振り向く。
「お前は」
両者は固まったまま、しばらく視線を交わした。ティムの位置からはどちらの表情も窺えなかったが。
「――いや」
先に顔を背けたのは、ブラッドだった。
「各国の了解は得たのか」
「根回しは済んでいるよ。シエルジェのマクレガー教授からも先程許可を頂いた」
「そうか……」
ならば文句はない、というふうにブラッドは腕を組んで再び沈黙した。
「今回の作戦はマナ――大地を流れるエネルギーを使用しなければいけない。地上に生きる者全てに関わる問題だ。故に全人類の承認を得る必要がある」
三大国家。シエルジェ。そして。
「後は――」
全員の視線が、コレットに注がれる。
「バスカーはガーディアン――ファルガイアの守護獣との関わりが深い一族。ファルガイアのエネルギーを利用するからには、彼らの同意はやはり得ておきたい」
バスカーの総意を委ねられた少女は、俯いたまま全身を強張らせている。
ティムは不安になる。
彼女にそんな重大な決断が下せるだろうか。自身の意思すらほとんど示したことのない内気な娘が――。
だが。
「わたしは」
前を向き、コレットは言った。
「みなさんを、信じています。だから」
ファルガイアをお願いします――。
凛々しさすら感じる佇まいと言葉に、ティムは息を呑む。
彼女も――いつの間にか強くなっていたんだ。
戸惑いもあったに違いない。迷って、悩んで、それでも逃げずに考えて、ちゃんと自分なりに――答えを見出したのだろう。
何だか恥ずかしくなった。自分なんてプーカがいなくなってあんなに取り乱していたのに。数日前の自分がつくづく情けない。
「ありがとう。必ずや信頼に報いよう」
差し出された手をコレットがおずおずと握り返した。会議もこれでお開き――と思ったが。
「誰かを忘れておらぬか」
その空気に水を差したのは、窓際のマリアベル。蜜色の巻き毛がランプの明かりを受けて艶やかに輝いている。
「このわらわを差し置いて、何を勝手に決めておる」
「マリアベルさん、スネちゃった? 仲間外れにされて」
「違わいッ」
リルカに一喝してから、アーヴィングの前につかつかと歩み寄る。
「やはり、認めては頂けないか」
「ふん。内堀まで埋めておきながら、白々しい」
マリアベルは指揮官の前で腰に手を当て、ふんぞり返った。
そういえばオデッサとの最終作戦の際にも、彼らがマナを抽出していることに一番憤慨していたのは彼女だった。ファルガイアの支配者――何が支配者なのかティムにはいまいちわかっていないけれど――として、大地の力を削ぐような行為は許せないのかもしれない。
「人間どもの総意は得たのじゃろう。ならば汝らで勝手に――」
やはり拗ねたような物言いでそっぽを向く彼女の前で。
アーヴィングは――跪いた。
「高貴なる紅の民――マリアベル・アーミティッジ様に献言致します」
松葉杖で支えつつ片膝をつき、頭を垂れて。
「浅薄なる者どもの策ではありますが、これが唯一無二であると確信しております。貴女様のファルガイアの為に――裁可を」
人類の代表たる銀髪の貴族は、最大限の敬意を尽くして具申した。
孤高の支配者は、しばらく憮然とそれを見つめていたが。
「――一度きりじゃ」
ひとつ嘆息してから、告げた。
「二度目は認めぬ。この一度で必ず――仕留めよ」
「必ずや」
御心のままに、とアーヴィングは面を上げて応えた。
「人たらしの面目次第だねぇ」
「面目躍如ですね」
小声で呟いたリルカの言葉をスコットがすかさず訂正した。よくわかったなとティムは少し感心してしまった。
「美形の貴族にあんなことされたら、女の子ならそりゃ断れないって。ずっこいよね」
「ふん。わらわの好みはうっとりメロメロ級のナイスミドルじゃ。こんな日陰のモヤシみたいな若造に頭を下げられても靡きはせぬわ」
「ミドル級の……メロメロ?」
トニーが難しい顔をしてしきりに首を捻っている。そういえば彼はマリアベルに懸想しているのだったか。
「認めたのは、あくまでも合理的に判断したまで。わらわのファルガイアを救う為にはやむを得ぬ。だが――」
言いながら机に近づいて紙の束を手に取る。
「この意匠は頂けぬな。わらわの美意識の埒外じゃ。どうせ再建するならわらわが設計し直してやる」
「え? でも」
そんな時間はないと思うが。
顔に出ていたのか、マリアベルはこちらに流し目をくれて、侮るでないと鼻息荒く言い放った。
「この程度の図面など三時間あれば余裕じゃ。今日中に仕上げてやる。それで構わぬな」
お任せしますよとアーヴィングは応えた。
「うむ。では早速取りかかるとしよう。行くぞ下僕どもッ」
イエッサーとトニーとスコットが揃って返事して、部屋を出ていくマリアベルの後を追った。すっかり飼い慣らされている。
「なーにが『靡きはせぬわ』だか。あっさり手玉に取られちゃって」
リルカが呆れる。手玉に取った張本人は涼しい顔で残った者たちに向き直る。
「魔界柱のアンテナ再建は各国が総動員で当たってくれることになっている。それでも少なくとも一週間はかかるだろう。その後の動作テストなどの日程も踏まえて――作戦決行は十日後とする。実働隊はそれまで待機。来たるべき決戦の日まで備えていてほしい」
「決戦の日……か」
アシュレーが呟く。いよいよかぁとリルカも神妙に言う。
ティムは――相変わらず怖かったし、不安だったけれど。
横を向く。コレットがまだ緊張した様子で立っている。
頑張らなきゃ、と思った。
「うっひょー」
エイミーが奇声を上げて燥いでいる。
「速い、むっちゃ速いよこれ。そしてかっちょいいッ」
硝子にへばりついて外を眺めていたかと思えば、突然駆け出して反対側にいたケイトの肩を揺さぶる。
「ねえねえ、もうスレイハイム領だよ。凄いよケイちゃん」
「ああもう少しは落ち着きなさい。鬱陶しいッ」
端末の前で表示画面を睨んでいたエイミーの相方は、視線は外さず腕だけ伸ばして薄桃色の髪を乱暴にかき回した。
さしずめ新しい乗り物に興奮する子供とそれを諫める母親、といったところか。実際はどちらも二十歳を過ぎた、立派な成人女性なのだが。
「なんだよー。ケイちゃんもアシュレー君もつき合い悪い」
口を尖らせて抗議するエイミーを脇に押し退けて、アシュレーはケイトの横に立った。
「理解できそうかな?」
「はい、一応は……。ですが、ここにあるのはレーダーと計器の類だけのようなので、こちらから制御はできないかと」
「そうか」
まあ、当然か。
アシュレーは振り返り、ぐるりと周囲を見渡す。
何しろここは――いや、これは。
意思を持った生命体――ドラゴンの体内なのだから。
独特の質感を伴った白銀の壁と天井。正面には透明な硝子板が――本当に硝子なのかは定かでないが――張られてある。反対側の壁際にはシャトーの操作盤に似た端末もあったが、彼女によればそれは単に飛行状況を表示しているだけのようだ。
「――信じられないですね」
同じように見回していたケイトが、感嘆混じりに呟いた。
「これが生物の内部だなんて、未だに実感が湧きません」
「そうだな……」
ドラゴン――ロンバルディア。異なる次元の別の世界から来たという機械生命体だという。生物という概念そのものが、こちらの世界と根本的に違っているのかもしれない。
「でもさ、操作できないんじゃ、途中で進路を変えたくなったときはどうすんの?」
エイミーが乱れた髪を直しながら言う。
〈直接指示すれば良い〉
その問いには、ドラゴン自身から返答があった。
「ああ……ここの声も聞こえているのか」
それも考えてみれば当たり前か。彼の内側にいるのだから。
「現場へは、あとどのくらいで着く?」
ついでに尋ねてみた。
〈指定地点までの到達予測時間は、四十八分十四秒後だ〉
細かーいとエイミーが感心した。
「細かすぎて逆に伝わんないよ。今度から秒は省略して」
〈了解した〉
アシュレーは苦笑する。作戦への協力を引き受けてくれた件にせよ、妙に物分かりがいい。話が早いのは助かるが――何だか拍子抜けな気もする。
「それにしても、ここに来て魔物の襲撃ですか」
ケイトが言う。
「大型モンスターはあらかた退治したはずなのですが……まだ残っていたということでしょうか」
「大型ではないみたいだよ。確か要請内容は……」
奇怪な魔物の妨害により作業中断、至急退治を願う――。
アンテナ再建に当たっている作業現場からその要請があったのが、二時間ほど前。待機中だったアシュレーが事に当たることになった。
他の隊員たちは非番だった。連絡を取ってみたものの、リルカもブラッドも、珍しくカノンまでも繋がらなかった。マリアベルは別の現場に出張しており、病み上がりのティムもまだ無理はさせられず、仕方なくアシュレー一人での任務となった。
リルカの不在により困ったのが、現場への移動手段だった。シャトーはエンジンを破壊されたことにより航行不能、テレポートもリルカ以外に身近に使える者はいなかった。
それでシエルジェから魔法使いを派遣してもらおうかと、アーヴィングに掛け合ってみたのだが――。
「ロンバルディア殿に頼むといい」
意外な提案をされた。戸惑うアシュレーに、指揮官は思わせぶりな笑みを浮かべて。
「いずれにせよ本番の前にテストするつもりだったから丁度いい。乗員たちも中を見たがっていたから、一緒に乗せてやってくれ」
「乗せて……って、え?」
ドラゴンに――乗る。
そのことを理解したときには、既にアシュレーはアーヴィングに伴われて彼の前に立っていた。
〈承知した〉
依頼を受けたロンバルディアはふわりと浮上し、そして。
変形した。
ものの数秒の早業だった。全身の部品が整然と動き出し、折り畳まれ向きが変わり、所定の位置にスライドして。
機械の竜は――飛空機械の形態へと姿を変えた。
「さー、行くよアシュレー君」
「わッ。ちょ、ちょっと」
どこからともなくエイミーとケイトが出てきて、アシュレーの背中を押す。同行する乗員は彼女たちか。ドラゴンの腹部――いや下部の搭乗口が開き、目の前にタラップが下りてくる。
「ま、待った。まだ心の準備が」
「なーに言ってんのー。坊や初めて? 怖くないよぅ、むふふ」
「こらエイミー、どこで覚えたそんなセリフッ」
結局アシュレーは好奇心旺盛な女子二人に両脇を固められるまま乗り込み、現場へと向かうことになったのだった。情けない姿を見られずに済んだ――という意味では、仲間たちの不在はむしろ助かったかもしれない。
ARMSの新たな翼は、シャトーで半日かかる距離をわずか一時間余りで航行した。前面の窓から覗くと既に旧スレイハイム領を抜け、バスカーの鬱蒼とした森が見えてきていた。
「そろそろ到着します。魔界柱は――」
見えた。深緑の海の中に、テレパスタワーに似たシンプルな鉄塔が突き立っている。あれで外側はほぼ完成なのだという。マリアベルはもっとあれこれ工夫を凝らしたかったようだが、工期優先の方針により渋々折れて必要最低限の構造になったらしい。
妨害を受けていると連絡があったのは、そこからさらに南の平原。資材の中継地点とのことだが――。
「あ」
あれか。
折れた鉄骨やら機械の破片やらが散乱し、荒廃している場所があった。作業員は既に避難済みで人の気配はない。焼け焦げ窪んでいる地面の中心に目を凝らすと――。
「何だ……あれは」
確かに奇怪だ。奇怪としか言いようがない。
黄金の角が生えた頭。どぎつい青と赤で色づけされた寸胴の体。腹部にはこれ見よがしに『B』の文字が刻まれている。
「オモチャみたいなモンスターだねぇ」
本にも載ってないよあんなの、と謎の図鑑と照らし合わせながらエイミーが言う。
「下に降りよう」
ともかく近づいて、確認しなければ。
少し離れた場所に着陸してもらい、アシュレーは二人を残してロンバルディアを降りた。
接近して、資材の陰から観察する。見れば見るほど珍妙な風体だ。牛の頭に安っぽい鎧。右手はドリルで左手はマジックハンドになっている。短い二本足で立っているが、尻尾があるところを見ると胴体は蜥蜴なのだろうか。
「ん?」
蜥蜴?
何か引っかかった。不吉な――予感が。
「は……はぅ……」
近くで呻き声がした。振り向くと。
「故郷は遠くなりにけり……吾輩たちのほのぼの冒険活劇も、遂にここらでエンドロールだトカ……」
「げー……」
腹這いに並んで横たわる、緑色の大小二匹。
「ああ――」
どうしよう。
見なかったことにして立ち去りたい衝動に駆られたが、そういう訳にもいかない。あの魔物を退治することが今回の任務なのだ。そして――あのふざけた魔物は。
間違いなく、こいつらの仕業だ。ならば関わるしかない。嫌だけど。
「おい」
「パトラッシュ……吾輩はもう疲れたでござる」
「げ……げー」
「手垢まみれのネタはいいから、気がついてるならとっとと起きろ」
む、と小さい方――トカが起き上がり、こちらを向く。
「誰かと思えばARMSの青い若者ではないか」
「久しぶりだな緑。二度と会いたくなかったけど」
大きい方の緑――ゲーも起き上がる。なぜかあちこち負傷しており、『蜥』の字が書かれた鎧も横腹が割れていた。
「あの世界観の違う魔物、どうせお前が作ったんだろう。邪魔だから片づけて」
「出会って五秒で吾輩に命令とは、偉くなったものであるなブルーよ」
「ブルー言うな。暴れてこっちの作業に支障出てるんだよ。いいからさっさとどけてくれ」
向こうのペースに極力巻き込まれたくなかったので、素っ気なく用件のみ伝えて頼んだのだが。
「残念ながら、それは無理な相談であるな」
トカ博士は腕を組んで難色を示した。妙に貫禄あるのが腹立つ。
「何でだよ。オデッサはとっくに壊滅したんだぞ。もう僕らの邪魔をする理由はないじゃないか」
「そう急くな。せっかちな若者であるな」
風呂は五分で済ませるタイプと見た、と要らない推察を挟みながら、件の魔物の方を見て。
「制御できぬのだよ」
「はぁ?」
偉そうに、情けないことを言い出した。
「確かにアレは吾輩が手がけた最高傑作『ブルコギドン』である。三年二ヶ月の過酷な開発期間を経て、先日遂に完成したのだ。それで早速起動テストを敢行したのであるが」
「暴走して――制御不能に?」
「うむ。もはや敵も味方も区別なく、触るものみな傷つけるギザギザハートになってしまったのである。生みの親である我々も例外なく、ほれこのように」
傷だらけのゲーを指し示す。従順な相棒は相変わらずいいように使われているようだ。
「嗚呼、何たる悲劇かッ。吾輩は何と罪深い子を産み落としてしまったのか。この悲しみをどうすりゃいいの。誰が僕を救ってくれるの」
「こいつはまさに大迷惑――だな」
何がとは敢えて言わないが、さっきから色々と古い。
「いい具合にオチがついたところで、後は任せましたぞ」
「あ?」
突然気安く肩を叩かれて、思わず変な声を出してしまった。
「吾輩たちは平和をこよなく愛する科学の子であるゆえ、荒事は苦手なのだよ。切った張ったの乱暴狼藉はそちらの専門でござろう」
「人聞きの悪い言い方をするな」
だが、制御できないのなら力ずくで止めるしかないだろう。あんなのと戦うのは気が進まないが。
「倒していいんだな。後から文句言うなよ」
「やむを得まい。古の軍師が泣いて馬鈴薯を切るが如く、吾輩も涙を呑んで我が子を切り捨てよう。涙の数だけ強くなれるよ。アスファルトがタイヤを切りつけるように」
相手にするのも面倒になってきたので無視して、アシュレーは背中の銃剣を取って魔物の方に近づく。
敵がこちらに気づいた。くるりと転回して、正面から向き合う。
アシュレーは身構えようと銃身に手をかけた――が。
B・U・R・U・K・O・G・I
ブルコギ☆ドーン
あんぐり開けた大口から、ノイズ混じりの歌が大音量で流れ出した。肝を潰して思わず銃を取り落とす。
闇の大地に降り立つ希望
その名は僕らのブルコギドン
歌声の主はトカ博士か。訳がわからず唖然としていると。
行け! 必殺ドリルドリッガー
「うわッ!」
歌に合わせていきなり前進してきて、右手のドリルを繰り出してきた。間一髪で回避し、再び間合いを取ろうとしたが。
悪い奴らを懲らしめろ! 暴徒鎮圧ゥ
「ひえぇッ」
続けざまに腰のキャノン砲が発射され、アシュレーの目の前の地面に炸裂する。
「何だよこれはッ」
堪らず抗議すると、トカ博士はどうだと言わんばかりに胸を張る。
「最近は『歌いながら戦う』というのがトレンドだと小耳に挟みましてな。流行に敏感なシティボーイとしては乗り遅れまいと、この際採用した次第で」
「歌いながら戦う、って……」
よくわからないが、違うと思う。絶対こんなのじゃない。
みんなのヒーロー☆ ブルコギドン~
歌はひとまず終わったようだ。みんなのヒーロー☆は再び沈黙している。
「くそッ」
アシュレーは気を取り直して、銃に弾を装填した。とにかく巻き込まれてはいけない。色んな意味で大怪我する。
世界のピンチに現る希望
その名は僕らのブルコギドン
二番が始まった。構わずアシュレーは狙いを定めて引金を引く。
防げ! 超超合金ボディ
弾は胴体に命中したが、微動だにせず掠り傷すらつかなかった。安っぽい装甲のくせして予想外に硬い。
悪の組織を一網打尽! 渾身の一撃ィ
動揺するアシュレーめがけて再び突進してきて、左手のマジックハンドを振り下ろす。
攻撃は躱したが、勢い余ったマジックハンドの先端が地面を粉砕し、その余波を食らったアシュレーは背後に大きく突き飛ばされた。
「そんな……馬鹿な」
苦戦している。こんなのに。
「はっはっは。見たか吾輩の秘蔵っ子の力を。圧倒的ではないか」
「げっげっげー」
後ろでは蜥蜴たちが高笑いしている。制御できないくせにと文句の一つも言ってやりたかったが。
最強ヒーロー☆ ブルコギドン~
どうする。
もう――変身するしかないか。だが。
こんなのを相手に魔神の力を使うのは、何だか……負けな気がする。そうも言ってられない状況なのはわかるけれども――。
〈アシュレー君〉
葛藤していると、背後からエイミーの声がした。
〈そいつ、あたしたちがやっつけるよ。離れてて〉
「え?」
声は飛空機械から聞こえている。中から出力装置を通して話しているらしいが。
「やっつける……?」
どうやって、と聞く間もなく、目の前でロンバルディアが動き出した。
ふわりと離陸し、空中でドラゴンの形状へと戻る。嫌な予感がしてアシュレーはその場から離脱した。
〈ドラゴニックガンブラスター、起動準備ッ〉
エイミーの声に呼応して、左右の肩口のパーツが開いた。その内側には――光を宿した砲口が。
〈発射ぁッ!〉
放たれた。
二本の光線は相手に命中し、次の瞬間。
爆発した。火薬でも仕込んであったのかと思うほど、派手な爆発だった。
「おおぅ……吾輩のブルコギドンが……」
粉々に砕け散った最高傑作を目の当たりにして、トカ博士が肩を震わせる。さすがにショックを受けたらしい。
それはともかく。
「エイミー……」
なぜ彼女がドラゴンを操っている。しかも装備している武器まで把握し、当然のように使いこなして。
〈やっぱり人造モンスターには変形ロボットだよねッ〉
アシュレーの疑問を差し置いて、怪獣マニアの娘は得意気に謎の理屈を言い放った。こちらはこちらでやはり世界観がおかしい。こうなると自分の方が場違いなんじゃないかという気さえしてくる。
〈アシュレーさん、大丈夫です。私も全くついて行けてませんから〉
「ああ……そうか」
よかった、仲間がいて。
「グッバイ……僕たちに正義と勇気を教えてくれた、でっかい人……」
「げー……」
もはや跡形もないでっかい人に向けて呟くと、蜥蜴たちは肩を落としてとぼとぼと歩いてくる。
「すまぬが、吾輩たちを送り届けてくれまいか」
ショックを引きずっているのか、やたらと萎らしい。これはこれで調子が狂う。
「送る? どこに?」
聞き返すと、トカ博士は遠くを指さす。
「あの山の向こうに吾輩の研究所がある。そこに隠してある母艦に乗り、吾輩たちは――」
帰ろうと思う、と妙にしんみりと言った。
「母艦? それに帰るって……」
何の話だ。いや、そもそも。
「あんたら結局――何者なんだ?」
この期に及んで根本的なことを尋ねた。本当に今更だと思う。
「吾輩たちは遠い星の海よりやって来た、リザード星人である。不幸な事故によりこのファルガイアに不時着したのだが――」
乗ってきた宇宙船は故障し、修理にかかる費用を工面するためにオデッサの依頼を受けていた――という。
「ヴィンちゃんは吾輩たちにとても良くしてくれてな。金払いも良いし、拠点となる研究所も提供してくれた。テロリストにしておくには惜しい御仁であった」
「はあ……」
あのヴィンスフェルトが……こいつらに。何だろう、違和感しかない。
「母艦の修理も先頃完了し、いつでも飛び発つ準備はできていたのだが、何やら名残惜しくてな。せめてブルコギドンを完成させてから……と思っていたのだが」
これで踏ん切りがついたッ、とトカは今度は空を指さした。この辺りの地域は喰われていない空が僅かながら残っており、渦巻く黒の合間に青空も臨めた。
「さあ帰るぞ、ゲーよ。我らの愛する故郷へとッ」
「げーーーッ」
欠けている鎧を叩いて、ゲーが喜びを表す。
「そうか、帰るのかッ」
思わずアシュレーは間に入って言った。
「それなら全面協力するよ。あの山の先まで送ればいいんだな。よし早速行こうッ」
「何やら嬉しそうであるな」
「そんなことはないッ。ほら早くしないと空が閉じてしまうかもしれないし」
閉じる前にこいつらをファルガイアから追い出さなければ。今後の自分の平穏のためにも。
善は急げだッとアシュレーは背を向けて、先頭を切って歩き出す。
足取りはこの上なく軽かった。
研究所というよりは、秘密基地だった。子供の頃にがらくたをかき集めて作った懐かしのアレを、そのまま巨大化させたような。
「ここが、ヴィンスフェルトから提供された……?」
「どうだ、立派であろう。このような素敵に無敵な研究所を授けたのは、吾輩への期待の表れであったのだろうな」
トカ博士はそう言って胸を張ったが、アシュレーにはむしろ真逆の意図しか感じられなかった。人を利用することに長けたヴィンスフェルトといえども、さすがにこの人材は持て余したか。
「さて、遂に別れを告げる時が来てしまいましたな」
入口の前で、蜥蜴たちは振り返る。
「名残惜しくはありますが、別れとはすなわち新たな旅立ちでもあるわけで、涙を堪え笑顔で見送って頂ければ幸いである」
「そうだな。元気でな」
言われた通り満面の笑顔でアシュレーは見送った。
「……やはり嬉しそうであるな」
「いや、名残惜しいよ、とても。別れが辛くなるからさっさと出発して」
トカ博士はしばらく疑いの眼差しを向けたが、まあ良いと踵を返す。
「行くぞゲーくん。故郷の家族が、友らが吾輩たちの帰還を待っておるッ」
「げー!」
建てつけの悪そうな扉を開けて、蜥蜴たちは研究所の中に入っていった。
「ヘンテコなヒトたちだったねぇ」
後ろからエイミーが言う。あんたが言うかとケイトが隣で突っ込む。
「それにしてもアシュレーさん、あんなお友達もいたのですね。何というか……意外です」
「放っといてくれ」
友達じゃないと否定しようとも思ったが、面倒なのでやめた。
どのみち、これで最後なのだ。このまま彼らが帰れば、もう――。
地面が揺れ出した。重々しい音を立てて、研究所の上部から円盤状の宇宙船が浮上する。
蜥蜴たちを乗せたと思しき宇宙船は、そのままするすると天へと上り――破れ目のように覗いている青空へと消えていった。
「行っちゃったねぇ」
「そうだな……」
空を眺めるアシュレーの胸中に去来するのは、ようやく片づいたという清々しさと。
――一抹の、寂しさ――?
「あいたッ」
エイミーが頭を抱えた。降ってきた何かに当たったらしい。
「なんだよ、もう……あれ?」
これって、と足許に落ちたそれを拾い、まじまじと見つめる。
「ネジ……だよね。なんで」
再び上を見る。
黒い歪みの中に空いた青空。それを背景にして、大小いくつもの影が――落ちてきている。
金属板の破片、留め金、折れたパイプ、エンジンらしき機械の塊、もう判別すらできない細かな無数の部品――。
アシュレーたちの目の前に雨霰と降り注ぎ、地面に突き刺さり。
そして最後に。
「あ~~れぇ~~」
小さい緑が瓦礫の山にどさりと落下し、続いて大きい緑がその上にのしかかった。
「た……ただいま……」
巨体に潰され半分くらいの幅になったトカ博士は、上半身だけどうにか這い出て、そう言った。
「……おかえり」
アシュレーは二十年の人生で一番深い溜息をついて、そう返した。
夜中に目が覚めた。
起きてからもはっきり憶えている夢を見た直後だった。いつも漠然とした、曖昧な夢しか見ないティムにしては珍しいことだった。ただそれも、あまりに荒唐無稽な内容だったので結局説明に困る夢ではあったのだが。
誰が出ていたか。アシュレーか、リルカか。それとも――。
夢の余韻に浸ってぼうっとしていると、すぐ近くに寝息を感じた。
――コレット。
ベッド脇の椅子に腰かけたまま、枕の横に腕枕を敷いて眠っている。
いつからいたのだろう。もう看病なんて必要ないのに。
でも。
その無防備な寝顔を眺めながら、ティムは仄かに胸が熱くなるのを感じた。
――嬉しい。
一緒にいてくれる。そのことがこんなに嬉しいものだなんて。
安らかな、とても幸せな時間。これがずっと続いてくれたらいいのに。
「コレット」
君を、守りたい。
君と一緒にいられるこの時間を、護りたい。
心から、強く、そう願った。
そのためには――。
ティムは身体を起こし、自分の掌を見る。
――ガイア。
自分の内側に宿る、もうひとつの存在。それに呼びかける。
ボクは生きるよ。
生きて、自分の意思で異世界と戦う。
『柱』としては、間違っているのかもしれないけれど。
自分の中にある、希望、勇気、そして――愛。
みんなが呼び覚ましてくれた、この心を――失いたくない。
だから。
ボクは、この世界に。
「生きるんだ」
見つめた掌の上に、ひとつぶの光が舞い降りた。
眩しさに目を細めていると、次の瞬間。
「え……?」
掌に重さを感じた。懐かしい感触と、ぬくもり。
――プーカ――!
つぶらな瞳。綿菓子のような髭。何ひとつ変わりないその姿が涙で滲む。
「どこ……行ってたんだよ」
「どこにも行ってないのダ。プーカは」
いつだって、ティムと一緒なのダ。
――ああ。
「そう……だったね」
いなくなってなんて、なかった。プーカはいつも自分の中に――。
「ティム」
ふわりと浮き上がり、ティムの鼻先でプーカは言った。
「プーカは初めて自分で考えたのダ」
「何を?」
「ティムを助けるにはどうすればいいのか。ずっとずっと、考えていたのダ」
「答えは……見つかったの?」
そう聞くと、亜精霊は短い手足を伸ばしてさらに飛び上がった。
「見つかったのダ。これが、答えなのダ」
「これ?」
「プーカはプーカとして、今まで通りティムと一緒にいるのダ。それが一番ティムの助けになると思ったのダ」
壁に掛けられた、ティムの鞄。その上にポンと載ってから、プーカは言った。
そこは彼の定位置だった。いつもそこに座ってティムを見守り、ときに励ましてくれた。
「ティムはもうプーカがいなくても強いのダ。それでも――」
「いいよッ」
ティムは鞄を取り、鞄ごとプーカを抱きしめた。
「プーカがいてくれるだけで、ボクは嬉しい。だから、これからも」
「一緒なのダ。ずっと――」
ずっとみんなと一緒に生きる。生きていたい。
心からそう願って、ティムは目を閉じた。
その願いは――気高き翼竜の姿をしていた。
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